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<電撃ネットワーク>南部虎弾「失敗だっていいじゃない」 「福耳の儀式」も披露 エッセー出版
<電撃ネットワーク>南部虎弾「失敗だっていいじゃない」 「福耳の儀式」も披露 エッセー出版
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081130-00000012-maiall-ent
11月30日21時24分配信 毎日新聞
<電撃ネットワーク>南部虎弾「失敗だっていいじゃない」 「福耳の儀式」も披露 エッセー出版
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自著の出版記念イベントで、金運があがるという「福耳の儀式」を披露した電撃ネットワークの南部虎弾さん
過激なパフォーマンスで知られる「電撃ネットワーク」を率いる南部虎弾さん(年齢不詳)が30日、都内でエッセイ集「絶対成功しない生き方」(講談社、1365円)の発売記念イベントを開催した。「自分の生き方は全部失敗ばかりだった。でも、失敗だっていいじゃないか。僕たちがこんなに失敗してるんだから、みんなもっと頑張れるでしょう」とエールを送り、自分の耳たぶにホッチキスでお札を留める「福耳の儀式」を披露した。
【写真特集】過激なパフォーマンスも披露された会見の様子、リトル清原らモノマネ芸人も
会場には安達祐実さんの母、有里さんや、和泉元彌さんの母で“セッチー”こと節子さんも駆けつけ、南部さんを祝福。電撃ネットワークのメンバーも集結し、頭をたたいて口から音を出す「人間木魚」など、お決まりのパフォーマンスを繰り広げた。ペ・ヨンジュンさんのそっくりさんが司会をしたほか、小室哲哉音楽プロデューサーのモノマネ芸人や清原和博さんのそっくりタレントも登場し、会場を沸かせていた。
エッセイ集は南部さんの失敗談や過激発言が満載。南部さんは、ケニア出身のシドニー五輪マラソン銀メダリストのエリック・ワイナイナ氏が提唱するアフリカの恵まれない子供たちに歯ブラシを贈るプロジェクトに賛同、この本の売り上げの一部を寄付する意向を表明している。
今まで最も“痛かった”失敗談について聞かれた南部さんは、「『熱湯コマーシャル』で(かつて所属していた)ダチョウ倶楽部に熱湯をかけられたこと。背中よりも心が痛かった」と苦笑い。「日本中景気も悪いですけど、幸せかどうかは考え方しだい。勝ち負けじゃなくて、自分たちはハッピーだと思わないと」と “南部流”幸福論を展開していた。【栗原拓郎】
YouTube [Live] 電撃ネットワーク 『バズーカ』
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電撃ネットワーク
電撃ネットワーク(でんげきネットワーク)は、日本を代表する、怪我するほどに身体を張った芸で有名なパフォーマンス集団である。日本ではその過激さゆえ敬遠されがちだが、欧米諸国では「TOKYO SHOCK BOYS」の名で知られ、高い評価を得ている。
所属事務所はクラフトワーク。
メンバー
南部虎弾
ダチョウ倶楽部の元メンバーにして元リーダー。芸のためなら命を惜しまない人。
南部 虎弾(なんぶ とらた 本名:佐藤 道彦 1951年7月14日 - )は、コメディアン・パフォーマーであり、電撃ネットワーク(海外ではTOKYO SHOCK BOYSの名称)の一員である。旧芸名は南部 虎太(なんぶ・とらた)。愛称は南部ちゃん。
人物・エピソード
* 山形県鶴岡市出身。山形県立鶴岡南高等学校卒業、高崎経済大学中退。
* 黒澤明監督の『影武者』に端役で出演している。出演者クレジットは「南部虎太」となっている。
* デビュー当初のダチョウ倶楽部でリーダーだった。テレビ番組収録中、生意気な口をきいたところ受けたため、悪乗りして更に他の番組で生意気な口利きのギャグをやり、プロデューサーを怒らせてダチョウ倶楽部を強制脱退させられた。一方で、ダチョウ倶楽部の他のメンバーに電撃ネットワークで行っているような過激な事を要求するようになり、メンバー間の意見が割れ脱退したという説もある。ダチョウ倶楽部分裂には諸説あるが、本人達が答えるのを避けているようで、実際の理由は判然としていない。
* 現在のダチョウ倶楽部の3人による南部時代の回顧によると「夜中に突然上島竜兵の家に電話をかけ、『お前ビー玉飲めるか?』と聞いた」「コントの段取りを無視して奇声を上げて走り回ったりした」「『ハナクソ』のイントネーションに関する議論だけで打ち合わせが延々続いた」「いきなり『俺は久米宏になる!』と宣言した」そうである。
* ダチョウ倶楽部脱退後、電撃ネットワークに参加する。過激な体を張った芸で有名である。
* 海外では、特にオーストラリアを中心にトーキョー・ショック・ボーイズ(Tokyo Shock Boys)として活動し、知られている。海外での活躍はデイヴ・スペクターによるバックアップによるところが大きい。
* 安眠ベッドの通信販売番組に出ることもある。
* プロレスや格闘技イベントのプロデューサーとしても活動している。
* 2008年5月25日に自殺した川田亜子アナウンサーについて「そんな次元の悩みで自殺」「世間知らずで打たれ弱いお嬢さん」「ご愁傷様でした!」と自分のブログに書いた事が原因で、ブログのコメント欄に非難が殺到した。南部は当該記事とコメントを削除。この件に関して所属事務所クラフトワークは「ブログは南部本人に任せているので、事務所は一切関知していない」とコメントした。
三五十五
立て板に水のような喋りが得意で、MC役を務める。一番怪我の少ない人。元演歌歌手らしい。
三五十五(さんご じゅうご、1962年3月16日 - )は人体実験パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」のメンバーである。主にMC(司会)を担当する。本名:小林裕司。茨城県出身。茨城県立松丘高等学校卒業。
略歴
電撃結成まで5組以上コンビを結成・解散を繰り返した伝説を持つツッコミ師。以後の活動は「電撃ネットワーク」の項に書かれている通りである。
動物に詳しく、ショーに出演するサソリやすっぽんなどの調達をするのは彼の役目である。特に熱帯魚に関する造詣が深く、熱帯魚雑誌に連載を持っていたりする。ただしその連載もフィールド(河川や海)での採取など、体を張ったものが多い。
「プロ野球チームをつくろう!」というゲームの大ファンで、「プロ野球チームを作ろう!3」には隠れキャラとして登場している。
マジシャンナポレオンズのパルト小石が「顔が似ているのでよく間違えられる」とほぼ日刊イトイ新聞で発言している。
P.T.A(パパとうちゃんおーるすたーず)・うんちはっけん!! や 三五十五&エレファンツ・誰かのためなら生きられる などバンドでも活動している。
八多太司とのコンビ、御神酒徳利として、漫才でも活動中。 元演歌歌手という説もある。
ギュウゾウ
元右翼だが実はインテリ。その怪我は伝説の域に達している。ロックDJとしても活躍。
ギュウゾウ(本名:大島剛人、1964年8月7日 - )は、人体実験パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」のメンバー。栃木県塩谷町出身、矢板東高校普通科、関東学院大学工学部・建築工学科、同大学応援団団長。A型。
4人の中で一番危険な人体パフォーマンスを得意とし、一番大怪我率が高い人である。また、HIP-HOPユニット「RHYMESTER」宇多丸、GEE(浅川)「GTS」、掟ポルシェ「ロマンポルシェ。」らとDJ集団「申し訳ナイターズ」を結成。ROCKを中心とした選曲でDJ活動も行っている。
人物
空手団体士道館黒帯(階級は二段)、柔道講道館黒帯、元右翼。日本青年社
新撰組マニア。
かなりの凝り性で、雑誌「ターザン」のインタビュー(小柳と出演)でも「肉体の危険を追求したい」と公言している。
熱心なサッカーファンでもある。 サムライの墓参りが趣味。
サソリを口に入れるという芸を得意としているが、勿論毒をもっているほんもののサソリを使用している。刺されて顔が3倍に腫れ、奥歯が抜けたこともあるという体の張りようだが、ニューヨークのオフブロードウェイに出演したときに「あのサソリは偽物だ、あんなことができるはずがない」という新聞記事での侮辱をうけた。「サソリの毒の味を教えてやろうか!」と思ったそうだが、ちなみに毒は甘いという。なお、大の友達であるTHE MAD CAPSULE MARKETSのボーカル、KYONOはギュウゾウの家に遊びに来た時、彼の飼ってるサソリを見て「ヤバイ、ヤバイ」と驚き、その数日後にその体験談を基にした曲「サソリ」の歌詞を書いて、ギュウゾウに見せに行ったという話がある。なお、この「サソリ」はKYONO曰く「電撃の為に書いた」曲であるらしく、後に電撃ネットワークとのコラボ曲「サソリ」としてレコーディング、CD「FLY HIGH/サソリ」に収録した。
電撃ファンの漫画家・日本橋ヨヲコ/香川県生まれ/のお気に入りでよく彼女の作品に出てくる。
ダンナ小柳
ギュウゾウ共々生傷が絶えない。電撃の芸はこの人から始まった。
ダンナ小柳(ダンナこやなぎ、本名:庭野敏和、1968年10月2日 - )は、パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」のメンバー。メンバーの中で一番背が高い(188?)。
新潟県十日町市出身。新潟県立塩沢商工高等学校中退。
略歴
* ミュージカル養成所に入るものの、自分の才能に限界を感じ中退。その後南部虎弾と知り合い、電撃ネットワーク(以下「電撃」)を結成。芸名の由来は、当時小柳ルミ子の夫であった大澄賢也に似ている事から。
* 後に電撃が「TOKYO SHOCK BOYS」となるきっかけを作る。TVから追放され無為の日々を送っていた時、たまたま小柳が鼻に牛乳を入れてしまい、目から出たのを見た南部が「体を張ったパフォーマンスは受けるんじゃないか?海外なら」と思いついたのが全ての始まりであった。
* デンマークの王女の前で「割り箸一本尻割り」を披露し、王女を失神させた事がある。
* 過去に乳首が一度芸で取れてしまったが、カサブタが取れたら新しい乳首が出来ていたとのこと。
略歴
* 1990年 結成。ライブハウスで活動を重ね、深夜番組オールナイトフジにてメジャー・デビューを果たす。
* 1991年、デーブ・スペクターの紹介によりLAの人気番組「ベスト・オブ・ザ・ワースト」に出演。
これが世界進出のきっかけとなった。
TOKYO SHOCK BOYSという名がついたのもこの時で、「'電撃ネットワーク'じゃ外国人は発音できないから」と
デーブが命名した。
* 1992年、カナダの世界的コメディフェスティバル「ジャスト・フォー・ラーフス」からの招待をうけ出演、大成功を収める。
以降、世界中から出演依頼がはいるように。
* 1994年、オーストラリアにて全77公演。4万人を動員。
* 1995年、スコットランド、デンマーク、オランダ、ドイツ全36公演。
デンマークでは女王マルグレーテ2世の前でパフォーマンスを披露し、翌日の新聞に大々的に取り上げられる。
* 1997年、ニューヨーク・オフブロードウェイに進出。3ヶ月で71公演という日本人初の快挙を成し遂げる。
* 1999年、FUJI ROCK FESTIVALに初出演。01年、03年にも出演。
* 2000年、初の全国ツアー「10th ANNIVERSARY TOUR〜 原点回帰〜」を開催。
RISINGSUN ROCK FESTIVALに出演。05年にも出演。
* 2001年、国内全国TOUR「不死身の男伝説」(21ヶ所24公演)を開催。
初のアジア公演、香港公演。
* 2002年、スペインのイベント「House of Asia Japanese nigeht」に出演。
* 2003年、国内全国TOUR「一撃必殺 〜怒りの青筋ブチ切れ寸前!〜」を開催。
* 2004年、オーストラリアTOUR 8都市(シドニー、メルボルン、パース他)を開催。
初の韓国公演。
* 2005年、国内全国TOUR「電撃伝説 〜15周年だよ全員集合!〜」を開催。
全世界にネットワークを持つNATIONAL GEOGRAPHIC CHANNELにて、日本4大奇祭を1年がかりで収録し、
メンバーが体験したドキュメント番組が放送される。
* 2006年、オーストラリアの格闘技イベント「XPLOSION」でハーフタイムショーに出演。
* 2007年、スペイン・マヨルカ島でのイベント「BROT '07」に出演。
ロシア・ソチで2014年冬季オリンピック招致イベント「Art Football '07」に出演。
学園祭 淑徳大学をはじめ複数に出演。
フランス・パリ、オランダ・アムステルダムにて「TOKYO DECADANCE」に出演。
* 2008年、3年ぶりの国内全国TOUR「危機一髪 〜電撃最大のピンチ〜」を開催。
「大銀座落語祭2008」 博品館劇場での公演に出演。
福岡の夏フェス「SunSetLive2008」に出演。
北野武 監督 映画「アキレスと亀」に出演。
安達有里
安達 有里(あだち ゆり、本名:長谷川 有里(はせがわ ゆり)、1957年8月30日 - )は、東京都台東区浅草出身のタレント。
# 娘である元子役、女優の安達祐実を、人気女優にまで育て上げたステージママとして知られる。
# 息子は安達哲朗と安達大であり、スピードワゴンの井戸田潤の義母。孫が1人いる。
# 祐実が幼少の頃帰宅すると知らない男性がおり有里は「この人が新しいお父さんよ」と言い祐実を戸惑わせた事がある。
# 役のイメージが定着し過ぎ一時期低迷していた祐実にグラビア等をやらせ大人っぽいイメージに転身させ見事復活を遂げさせた。だがこの頃より意見の食い違いが生じ結果マネージメントから退く事となった[3]。
# 2006年4月にヘアヌード写真集『Myself』(バウハウス)を出版し、世間を驚かせる。これについて娘の祐実は有里の唐突な行動に驚きつつも、「撮った物は仕方がない」と反対はしていない様子。経緯は飲み会で「本を出版したい。教育本は出版してるからそれ以外で」と発言した事で企画された。
# 2008年9月、同年10月に約2年ぶりに発売するヌード写真集「Beauty Smile」(晋遊舎)のために、全身美容整形手術をしたことを発表した。約2ヶ月かけ、脂肪吸引や歯を上下12本入れ替え、吸引した脂肪を使ってバストをCカップからDカップに膨らませた。総費用は609万円
和泉節子
和泉節子(本名・山脇節子 1942年6月11日- )
元彌の母。狂言プロデューサー。株式会社和泉宗家代表取締役。和泉流宗家宗家会理事長。和泉宗家後援会理事長。和泉流宗家記念館理事長。
岐阜県大垣市の出身、父は鉄工会社を経営する二代目社長。母は戦国の軍師・竹中半兵衛の子孫で、実家は造り酒屋を営む大地主であった。大垣市立の小学校・中学校に学ぶ。中学3年の3学期を前に、金城学院中学校の欠員補充に合格し編入し卒業。金城学院高等学校、金城学院大学短期大学部卒業。
元・大垣藩家老家の紹介による見合いで元秀に嫁ぐ。挙式の媒酌人はかつて和泉宗家を召抱えていた尾張徳川家の19代当主で、元・華族(侯爵・貴族院議員)の徳川義親である。
一時期は、フジテレビ「笑っていいとも!」のレギュラー(2002.04.-2002.09. 月曜日) 等、テレビのバラエティー番組などに相次いで出演。「セッチー」のニックネームで呼ばれているが、各種騒動や羽野晶紀別居関連の際、他者への非難中傷めいた品格の無い発言を数々行う姿がメディアで盛んに報じられ家の評判を落とした。このためか、デヴィ・スカルノや美川憲一などは彼女を嫌っている。
作者:つれずれ草
更新日:2008年11月30日 23時52分
並木瑠璃 NHK大河で女優デビュー…1・4スタート
並木瑠璃 NHK大河で女優デビュー…1・4スタート
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081129-00000307-sph-ent
11月30日8時0分配信 スポーツ報知
TBS系「さんまのスーパーからくりTV」出身のギター少女・並木瑠璃(11)が、来年1月4日スタートのNHK大河ドラマ「天地人」(妻夫木聡主演、日曜・後8時)で女優デビューすることが29日、分かった。
「義」の精神を胸に、上杉氏の参謀として戦国時代随一の知将と呼ばれた直江兼続(かねつぐ)の一生を描いた物語。並木は、常盤貴子演じる兼続の妻「お船」の幼少時代に抜てきされた。
初挑戦にも堂々とした演技を披露。10月までに撮影を終え「テレビで見る俳優さん、女優さんに会えてうれしかった。皆さんが私のことを知っていてくれたのが、信じられなかったです」。妻夫木には得意のギターも披露。「お話しできたし、ギターも見てもらえてうれしかった。常盤さんも本当にきれいな人でした」と初々しく話した。
小栗旬主演の映画「クローズZERO」の続編「クローズZERO2」(09年春公開、三池崇史監督)のサウンドラックに、楽曲参加することも決定した。
並木瑠璃 オフィシャルサイト
YouTube 並木瑠璃 / 学園天国
YouTube 天地人 妻夫木聡&北村一輝のメッセージ
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Wikipedia より
並木瑠璃
「さんまのスーパーからくりTV」から登場した小学生ギタリスト。
妻夫木聡
福岡県山門郡三橋町(現・柳川市)出身で、神奈川県横浜市戸塚区名瀬町育ち。横浜市立名瀬中学校、神奈川県立舞岡高等学校卒業。身長171cm。血液型O型。
愛称はブッキー。趣味は音楽・映画鑑賞。
人物
日本だけでなく、香港、韓国、台湾などアジアでも人気が高い。映画『どろろ DORORO』の香港での試写会前に、香港のワールドトレードセンターで行われたキックオフイベントには約1000人のファンが詰め掛けたことがあった。また、「香港経済日報」の副刊では1面トップで映画『どろろ』の解説をするなど、地元主要各紙が破格の扱いで報じた。
TBSの安住紳一郎アナウンサー/北海道帯広市出身。美幌町、芽室町育ち/、嵐の櫻井翔/群馬県にて誕生し、まもなく東京都港区へ移る/、キングコングの西野亮廣/兵庫県川西市出身/などと親交があり、親しく接している。
ミュージシャンでは、くるり、RADWIMPSのファンであることを公言している。また、妻夫木が主演した『オレンジデイズ』『どろろ DORORO』ではそれぞれMr.Childrenの「Sign」「フェイク」が主題歌に選ばれている。
高校生時代には雑誌「東京ストリートニュース」で「VIP高校生」と呼ばれるカリスマ読者モデルとして人気を博し、表紙モデルを何度も務める。90年代後半に流行したスーパー高校生と呼ばれていた一人である。映画『ジョゼと虎と魚たち』では高校生時代の妻夫木が掲載されている同雑誌が小道具として使われている。
実兄でミュージシャンの妻夫木晋也(つまぶき しんや)は、かつてRubii(現在は解散)というバンドに所属していた。また、はなわのバックバンドとして活動していると、はなわが自ら『速報!歌の大辞テン』にゲスト出演の際に語った。
現在はオンラインゲーム「モンスターハンターフロンティア」に熱中しているらしく、笑っていいとも!では麒麟(キリン)を倒したいと話していた。
俳優として
俳優を始めた当初のことを妻夫木自身は後に、「自分が何もできなくて、悔しくて、恥ずかしくて、最悪な自分がいた。自分の無力さを感じた」と公言している。俳優の勉強については「誰にも習わずひとりで勉強した。」と語る。
俳優として妻夫木は、『オレンジデイズ』や『スローダンス』などのテレビドラマや、『ジョゼと虎と魚たち』、『春の雪』、『涙そうそう』、『どろろ DORORO』など数多くの映画に出演しており、また日本アカデミー賞(主演男優賞・新人俳優賞)などを初めとする数多くの映画賞を受賞するなど評価は高い。自らが主演を務めた『きょうのできごと』の監督である行定勲は、妻夫木を「彼には男としての親近感もあると思うんですよ。それが俳優としては重要なんです。それは彼の育ってきた環境によるメンタリティのようなものからにじみ出ているんですね。映画の主役としての器ではとてもいい素材を持っている俳優さんだと思いますね。いろんな役ができる人です」と評している。
常盤貴子
常盤 貴子(ときわ たかこ、本名同じ、1972年4月30日 - )は、女優・タレント。血液型A型。所属事務所はスターダストプロモーション。「常磐貴子」は誤字。
来歴・人物
神奈川県横浜市港北区出身。
父親の仕事の都合で、小学校4年になってから兵庫県西宮市へ移住。西宮市立春風小学校、西宮市立上甲子園中学校を経て西宮市立西宮東高等学校(先輩に俳優の堤真一がいる)に入学したが、高校1年まで在学して関東へ戻り、駒沢女子高等学校(現・駒沢学園女子高等学校)に転入、卒業。そして、関東学院女子短期大学家政科生活文化専攻(現・関東学院大学人間環境学部)卒業。
1991年夏に自らスターダストプロモーションの門を叩き、事務所に所属した。しばらくは、原宿の歩行者天国で路上ライブ(このライブにはデビュー前のMANISHも出演していた)の司会をするなど、下積み生活が続いた。年末にTBS系SPドラマ『イブは初恋のように』で女優デビューをする。
1994年秋のTBS系ドラマ『私の運命』で不倫と純愛の間をさまよう上昇志向の強い看護師役を演じた。1995年夏のTBS系ドラマ『愛していると言ってくれ』では、耳が不自由な青年画家(俳優豊川悦司)の恋人役を演じ、ドラマは大ヒットした。その後も数々の連続ドラマで主演を務め、1996年春から1997年夏までは5作の連続ドラマにおいて主役級を務め、撮影を連投した。コメディーからシリアスまで様々な役柄を演じ出演作の全てがヒットしたため、この時期から彼女は「連ドラの女王」と呼ばれるようになった。
1999年夏公開の香港映画『もういちど逢いたくて〜星月童話』で俳優レスリー・チャン(張國榮)と共演した。
2000年冬に主演したTBS系ドラマ『ビューティフルライフ』は30%を超える平均視聴率(最高視聴率41.3%)を獲得し、「車椅子 常盤貴子モデル」も登場した。『ビューティフルライフ』以後は、TBS系ドラマへの出演は2003年のショートドラマ1作品だけである。
2005年春にKERA・MAP『砂の上の植物群』で舞台初出演をした。その後も舞台出演を毎年1作品のペースで継続している。
2008年に入り、『眉山』『笑顔をくれた君へ〜女医と道化師の挑戦』『ロス:タイム:ライフ』とSPドラマに主演した。
8月30日に3部作で公開される映画『20世紀少年』でヒロイン・ユキジ役を演じる。
10月公開予定の映画『釣りバカ日誌19』でヒロインを演じる。
妻夫木聡が主演する2009年NHK大河ドラマ『天地人』で、ヒロイン・お船の方を演じることが発表された。
エピソード
* 海外の映画俳優との共演や連ドラの海外テレビ放送により、中国や東南アジアでも知られている。
* 香港映画に度々ヒロイン役で出演したほか、『流転の王妃・最後の皇弟』や『玉蘭』などの中国が舞台となっている日本の作品にも出演している。
* 羽田実加/静岡県沼津市出身/や沢尻エリカ、鈴木えみ/京都府京都市伏見区出身/、原史奈など、事務所の後輩にファンが数人いる。沢尻は「TVガイド」2007年9月26日発売号で自らが常盤ファンであることを公言している。また、金田美香や小倉智昭/秋田県秋田市出身/、眞鍋かをり/愛媛県西条市に長女として生まれる/、内山理名、川村亜紀、川村由紀、マーティ・フリードマンなど、芸能界の中にもファンを数多く持つ。
* 30歳を過ぎたころから活動の場を連ドラから映画・舞台へとシフトしているが、本人は雑誌インタビューなどでしばしば連ドラをホームグラウンドであると語っている。
* 神奈川県横浜市の生まれだが、小中高の数年間を兵庫県で育った為、普段は関東弁よりも関西弁を話すことが多い。
* 両親と姉一人がおり、TVや雑誌のインタビューで家族仲が良いことを語っている。父親とは、温泉やニューヨーク観光など旅行をともにすることしばしばとのこと(TBSテレビ『はなまるマーケット』に3度目のゲスト出演をした時のコメントより)。また、公式サイト内のブログにおいてTVディレクターの常盤吉弘がいとこであることを明かしている[1]。
* 少女時代の7年間を兵庫県西宮市で過ごした。すでに放送が終了(2005年)した土曜朝の関西テレビ情報番組「いつでも笑みを!」に出演した際に上沼恵美子に語ったところによると、西宮に引っ越して来るまではおとなしくて引っ込み思案な性格だったが、引っ越して来てからは関西の子供の気取らぬ開放的な行動に感化されて性格が180度変わったとのこと。また、西宮時代以来、宝塚歌劇や吉本のお笑いをこよなく愛してきたとのこと。本人が言うには、現在でも日常ではほとんど関西弁で話している。事実、親友の加藤紀子/三重県鈴鹿市出身/や女優仲間の水野美紀/香川県高松市生まれ/とラジオで共演した際に、三重県出身の彼女たちを前にハイテンションな関西弁を話していたこともある。また「自分は関西人」とも言っている。
三池崇史
三池 崇史(みいけ たかし、1960年8月24日 - )は、日本の映画監督。
来歴・人物
三重県尾鷲市出身の板金工の父の下に、大阪府八尾市で生まれる。日本映画学校卒業。今村昌平、恩地日出夫、野田幸男/和歌山県御坊市出身/らに師事。1991年のVシネマ『突風!ミニパト隊』で監督デビュー、1995年の『新宿黒社会』で初の劇場用オリジナル作品を手掛けた。コメディ、バイオレンス、ホラーなど多岐に渡るジャンルで映画制作を続ける。1998年に、米『TIME』誌上よりこれから活躍が期待される非英語圏の監督としてジョン・ウーと並び10位に選出。作品はクエンティン・タランティーノ監督に影響を与える(『殺し屋1』など)。『極道恐怖大劇場 牛頭』はVシネマとして初めてカンヌ国際映画祭に出品された。旧名は三池モバ。多作である。
その映画制作スタイルは、鮮烈な暴力描写を伴うため、しばしば論争を巻き起こすものの、海外での評価は高い。2001年のトロント国際映画祭での『殺し屋1』の上映時には、エチケット袋を観客に配り、暴力描写が自分の持ち味であることをアピールした。海外での受賞は『極道戦国志 不動』でポルト国際映画祭審査員特別賞。『オーディション』でロッテルダム国際映画祭で国際批評家連盟賞とオランダジャーナリズム連盟賞。『カタクリ家の幸福』でジェルミナーレ国際ファンタスティック映画祭審査員特別賞。『牛頭』で第36回シッチェス・カタロニア国際映画祭審査員特別ビジュアルエフェクト賞など多数。フランシス・コッポラやウェイ・ワンがアジア人監督作品をプロデュースする企画に日本から参加が発表されるなど、ハリウッドからの引き合いは数年前からあった。 2006年にはアメリカのケーブルテレビ局Showtimeが企画した、ホラー映画の巨匠13人によるオムニバステレビシリーズ『マスターズ・オブ・ホラー』の第1シーズンに、日本人唯一の参加を果たした。しかし、実際に三池が製作した『インプリント 〜ぼっけえ、きょうてえ〜』(原作・岩井志麻子/岡山県和気郡和気町生まれ/)は比較的緩いといわれるケーブルテレビの放送コードにさえ引っ掛かってしまう内容のもので、北米での放映は見送られることとなり、話題となった。また、日本では角川ヘラルド・ピクチャーズ配給で映画館公開も計画されていたが、映倫が審査を拒否したため、映倫の審査が必要ないシアター・イメージフォーラムで単館上映した。
2007年11月、米『TIME』誌の調査による「Top 25 Horror Movies(ホラー映画ベスト25)」に唯一の日本映画として『オーディション』が選出された。
作者:つれずれ草
更新日:2008年11月30日 18時55分
よゐこ濱口「キンケシ」番組、DVD化
よゐこ濱口「キンケシ」番組、DVD化
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081130-00000002-sanspo-ent
11月30日8時1分配信 サンケイスポーツ
お笑いコンビのよゐこが29日、フジテレビCS721で放送された番組「よゐことキンケシ〜濱口が有野に全418体を紹介する企画〜」のDVD化記念イベントを都内で。キンケシ(キン肉マン消しゴム)マニアの濱口優が、相方の有野晋哉に1体ずつ解説する番組。「受験勉強もせずに集めたかいがあった。夢のような話」と濱口。有野は「アホみたいな話」。
YouTube よゐこ 小阪由佳 寝起きドッキリ
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Wikipedia より
よゐこ
よゐこは、日本のお笑いコンビ。所属事務所は松竹芸能。ともに大阪府大阪市出身、大阪市立汎愛高等学校卒。
メンバー
* 有野晋哉(ありの しんや、1972年2月25日 - 、ボケ担当)
有野 晋哉(ありの しんや、1972年2月25日 - )は、日本のお笑いタレントよゐこのボケ担当。男性。相方は濱口優。身長180.6cm(デビュー時は179cm)体重70kg。血液型B型。星座はうお座。大阪府出身。趣味はテレビゲーム。しりとり八段(二、四、九期竜王)。
人物
本来ボケ担当だが、地味なキャラを売りにしている事と、相方の濱口優が強力な天然ボケであるため、おのずとツッコむ機会のほうが多く、そのため世間ではツッコミ担当と思われている。
自他共に認めるゲームオタクであるが、ゲームセンターCXでアクションゲームやRPG、パズルゲームが得意でシューティングゲームが大の苦手であることが判明する。後述のように、結婚後は仕事でゲームに向かうことが多い。アニメオタクでもあり、『機動戦士ガンダム』や『BLOOD+』が好き。
エピソード
* 2008年5月30日、肺膿瘍の治療で休養することを所属事務所が明らかにした。有野本人もブログで入院生活について「都内病院にて入院しております」「寝まくってます」などと報告していた。
* 翌月6月19日に有野本人のブログで前日に退院したことを報告し、自宅療養を経て翌月7月5日、めちゃ2イケてるッ!で仕事復帰を果たした。
家族
* 2005年3月1日、加藤浩次/北海道札幌市生まれ、小樽市出身(極楽とんぼ)・カオリちゃん/福岡県出身/夫妻の媒酌により元タレントの北村祐子と結婚した。結婚披露宴については『めちゃ^(2)イケてるッ!』の番組内で発表・進行が行われた。事前に結婚について知っていたレギュラー出演者は岡村隆史のみで、他のメンバーは媒酌人の加藤浩次も含め知らされていなかった。相方の濱口優に至っては、「いきなり!黄金伝説」の「1ヶ月1万円節約生活」のアパートから結婚式場まで目隠しで連行され、目隠しを取ると披露宴の真っ最中というドッキリを仕掛けられた。現在では、その加藤家と家族ぐるみの付き合いをしている。また光浦靖子/愛知県田原市出身/もよく有野家に子どもたちにお土産を持参して来訪してくるらしい。
* 2006年3月10日に長女が誕生し、出産にも立ち会っている。その日はコンビでの仕事で「クイズ発見バラエティー イッテQ!」の海外ロケの予定だったが、有野が風邪を引き濱口単独のロケとなったため立ち会えることになったという。更に2007年9月2日午後10時16分に次女が誕生した。なお予定日は9月26日だったとのこと。
* 兄弟は姉と兄が一人ずついる。
* 松竹芸能の後輩であるアメリカザリガニの平井善之が3年5ヶ月もの間有野のマンションで同居していたが、有野の結婚と同時に平井は追い出された。岡村隆史はこのことを「ザリガニを逃がしたんやな」と例えた。
* 『めちゃイケ』の1コーナー『恋のかま騒ぎ』で千秋/千葉県市原市出身/がゲストに来た際、千秋をドライブに誘ったことがあることが暴露された。そのことについて「将来、『有野千秋』になってたかもしれないなぁ」と千秋に恋愛感情を持っていたことを告白した。一方、1997年のMBSヤングタウンでは南原清隆が「千秋は有野が好き」と、千秋のほうでも有野に好意を持っていることをほのめかしたこともある。
趣味・特技
プロゲーマー
ゲームセンターCX の人気に伴い、自称「プロ・ゲーマー」を名乗っている。
オタク全般
アニメ、マンガ、ゲーム、特撮等全般に広く精通しているが、『キン肉マン』への思い入れに関しては濱口に一日の長があるようである。
フィギュアやプラモデルの収拾も趣味のひとつ。独身時代に深夜番組『よるこ』で自宅を取材された際には、総勢540体以上のフィギュアが所狭しと陳列されていた。『機動戦士ガンダム』、特撮、るーみっくわーるどなどカバーするジャンルは多岐に渡る。『ねるとんね紅鮭(べにしゃけ)団』に出演した際は、告白タイムで相手の神田うのに『機動武闘伝Gガンダム』のガンプラをプレゼントとして差し出していた(濱口と2人で告白したが、両方ともふられてしまった)。また、ある番組の企画で有野の母親が息子に宛てたビデオレターでTVに出演した際、1/60ゴッドガンダムをかかえて登場していた。昨今は作る暇の無いプラモのストックは、後輩のなすなかにしにプレゼントしたりしている。
アイドル専門家
アイドル好きでも有名で、「MBSヤングタウン」でのフリートークがキッカケで学研発行のアイドル雑誌「BOMB」内での連載「棚からボム餅」も担当している。番組共演者からは、今後ブレイクするアイドルについて尋ねられる事も多いという。同じく『よるこ』で自宅を公開した際には、全部で98冊の写真集がストックされていた(現在はさらに増えている模様)。
しかし、アイドルへの観察眼はむしろ鋭く厳しいほうで、自身のブログでは「質問を質問で返す」保身的で上昇志向なアイドルに対して「そういう“フリ”で展開して結果的に受けた話を、自分のおかげで盛り上がったと勘違いするな」「ゲストで出演しているのなら、面白いエピソードがあるなしに関わらず、有るなら有る。無いなら無い、で正直にトークして欲しい。面白い話をするのは芸人の仕事」と独自のアイドル観を展開するほどの徹底ぶりである。
アイドルのメル友には中川翔子がいる。最近は「アキバ系の代表」的なポジションで、一緒にブッキングされる機会も多い。
黒田美礼のプロフィールに『趣味:模型作り』と書かれているのを発見し、それをきっかけに話しかけたが、後日彼女のプロフィールからは『模型作り』の部分が削除されていた。
『めちゃイケ』のコーナー「やべっち寿司」で、まだブレイク前の佐藤寛子/福島県生まれ神奈川県育ち/・秋山莉奈などを今後もっと売れると紹介した事がある。
インテリアの匠
意外に潜在的な能力があり『いきなり!黄金伝説』の「よゐこの無人島生活」ではテーブルやイスなどを自ら組み立てた。その能力はスタジオで「匠」と呼ばれたほど。また自身も特技「鉈」、趣味「鉈」と言ったこともある。また同じような趣味を持つ声優・俳優の松風雅也/福島県出身東京都育ち/と親交があり、有野の家の家具は殆どが松風特製のものである。
絵本作家
2004年11月1日、絵本『冷蔵庫』を発売し、作家としても活躍している。
その他
理想の女性のタイプは『うる星やつら』のラムちゃんだと公言しているが、それは建前で、実際はミンキーモモが本命である(1998年3月12日放送『笑っていいとも!』テレホンショッキングより)。最近はピンで活動することも多く、『機動戦士ガンダム』シリーズをテーマにした有野単独ライブも行っている。
キャラの濃い濱口が相方のため、どちらかというと有野の存在感が薄くなることをネタにされることもあったが、人気番組である『ゲームセンターCX』に出演するようになってからは、ネット上や様々な年代のゲームファンを中心に人気が拡大している。最近ではゲーム好きというイメージも定着し、自身を半ばギャグでアキバの神様、またはスターと称することがある。濱口からは「CSのプリンス」とも評される。
高校時代にはアマチュアバンドをやっていた。また、同時期に後に相方となる濱口の実家が経営する土建屋でアルバイトしていた事もある。また、このころは公務員を志望していた。松竹芸能に入る前はホテルのレストランに勤務していた。『愛のエプロン』(2006年9月6日放送分)出演時には、「打倒・梅沢富美男の秘密兵器!!」と紹介されたが、テーマのエビピラフは調理方法を間違えてエビリゾットを作り、エビマカロニグラタンはホワイトソースすら作れなかった。結果、有野は「下エプ」で終った。実際に勤務していたのは半年で、調理できるまでには上達していないとみられる。
デビュー当時の漫才、めちゃイケの前身番組『とぶくすり』時代はキレのあるボケの連発で天才の名を欲しいままにした。相方の濱口とのバラエティ番組『よるこ』(毎日放送)において、当たり付き自動販売機で1回で当たりを出すという事を2度達成するなど、運が強い一面もある。『虎の門』(テレビ朝日系列)のしりとり竜王戦の常連であり、板尾創路に次ぐ歴代2位の好成績を収めている。
『痛快!明石家電視台』(MBS系他数局ネット)の「クイズ!パァちゃいまんねんペアでんねん」のコーナーに出演した際、英語力に乏しい事で有名な濱口が読んだ英単語を当てるというコーナーで、濱口が読み違えた英単語(「daughter(ドーター)」を「ドゥゲザー」と読み違えたなど)を次々と正解するという、相方への理解っぷりを披露した。
愛車はランチア・デルタ。使っているパソコンはiMac G5。
運動神経抜群の業界人が多いお笑い界では珍しく、180cmという長身の割にはスポーツとは全く無縁で、学生時代は「1, 2年上ぐらいの人間からバカにされるのが嫌」という理由で帰宅部だった。自身の冠番組である『ゲームセンターCX』では、『アドベンチャークイズ カプコンワールド ハテナ?の大冒険』の回でスポーツ問題が全然わからなかったり(例:巨人の永久欠番になっている背番号34の選手は誰(答え:金田正一)という問題に王貞治と誤答)と相方と同様にかなりのインドア派だというところとみられる。
『めちゃイケ』内コーナー「色とり忍者」(2007年4月28日放送分)でブルーな気持ちに「仕事が2本決まったけど全部雑誌だった時」と答えており、このことから本当はTVでの仕事が欲しいと望んでいる模様。(4月14日放送分では同じお題に「レギュラーが3本減った時」と答えていた。また、6月16日には「一人での仕事がアキバ系ばっかりだと気づいたとき」とも答えている)
『ドラえもん芸人』の1コーナー「道具・イントロ・ドン」(『アメトーーク』2007年4月19日放送分)のクイズ優勝で7月13日放送分の『ドラえもん』に本人役として登場する。
KinKi Kidsがデビューする前に、KinKi Kidsのファンであった。当時、KinKi Kidsのファンクラブの前身である「KinKi Kids 情報局」の会員であり、コンサートにも行っていることを、「笑っていいとも」の増刊号で公表した。
ストリーク吉本の顔や声が有野と似ている。『よゐこのワケアリ』で実際に吉本が有野の役を演じていたこともある。
極度のビビりで、ウド鈴木や濱口がヤンキーに絡まれた際、真っ先に逃げ出したという。ビビりではあるが、自他共に認めるドSで、後輩をイジることがある。
濱口と同様にタバコ嫌いである。
* 濱口優(はまぐち まさる、1972年1月29日 - 、ツッコミ担当)
来歴
同学年の濱口と有野は別の中学に通っていたが、通っていた塾が同じであったため仲良くなる。有野の方が成績が良かったが、有野が受験する高校のランクを下げたため濱口と同じ高校に進学する。高校卒業後の1990年、既に東急ホテルのコックに就職していた有野を濱口が「芸能界に入れば酒井法子と結婚できる」(有野が実際に結婚したのは、ゲーム好きの一般人だった)という言葉で誘いコンビ結成。「吉本はライバルの若手芸人が多い、松竹なら簡単に売れる」という理由で、吉本興業ではなく松竹芸能の養成所を選んでいる。同世代で吉本を選んだナインティナインは、この理由について「あいつらは賢い」と評している。
初舞台当時のコンビ名は「有野&濱口」。その後コンビ名を「なめくぢ」にするが、それでは売れないと事務所と北野誠に改名を促され、その場に置いてあった幼児向け雑誌の「よいこ」からコンビ名がとられた[1]。しかし当の2人は改名に乗り気でなかったため、ささやかな反抗で「ゐ」の字を使い、現在の「よゐこ」となった。しかしこの字については、「よぬこ」や「よるこ」とあえて間違えられることが多々あり、実際に「よるこ」というテレビ番組を持った事もある。
コンビ結成後、『怒涛のくるくるシアター』『すとらびん式』などに出演し、シュールなコントで業界関係者やお笑いマニアから高い評価を受けるが、旧来の演芸番組では受け入れられず、早いうちに東京進出を果たすことになる。テレビ番組『とぶくすり』などでコアなお笑いファンなどに知られるようになり、その後、90年代中盤から『ウッチャンナンチャンのウリナリ』・『めちゃめちゃイケてるッ!』・『笑っていいとも!』などで露出が増えるようになった。また、ある日大阪に来ていたスチャダラパーがよゐこの存在を知り、生で見たいという理由から、友人である渡辺満里奈のラジオ番組にゲスト出演。この後「満里奈がファンらしいから使ってみるか」という話になり、全国ネット進出の足がかりを掴んだ。
1992年1月、第13回ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞。授賞式では緊張していた様子を観客に「斜に構えて生意気」と受け取られたため大ブーイングを浴びてしまった。またこの日の『ナイトinナイト』に、受賞者全員がゲスト出演した際に、番組終わりの最後の一言で、濱口が先輩芸人も多くいる中で、「劇場に出ているような芸人にはなりたくない」と発言し、場を凍り付かせた。
上記のエピソードのように、若手時代は先輩から礼儀や態度で注意される事が多く、笑福亭鶴瓶やミスハワイなどから厳しい叱責を受けたことがある。また挨拶や礼儀作法ができないことを、キャラクターとして売りにしていた時期もあり、ウンナンの正月特番において、東京の寄席に若手芸人が挑戦するという企画では、先輩芸人であるおぼん・こぼんに対して、横柄な態度を繰り返すというノリを演じていた。
現在はそれぞれが単独でテレビ出演する機会も多くなっている。当初は、『いきなり!黄金伝説。』の節約コーナーなどに出演する、濱口の収入が多い事をネタにしてたが、その後は『ゲームセンターCX』のDVDがヒットした有野の方が収入が多い事をネタにしている。
年1回夏冬にそれぞれ単独ライブ(よゐこライブ)を開催している。このうち夏のライブは「よゐこのこども祭り」と題し、4歳から12歳までの子供を対象にしており、大人と子供(4歳~12歳)での参加が必須条件となっており、大人同士、子供同士でのチケット購入はできない。また、4歳以下の子供も入場することができない。小学館学年誌「小学一年生〜六年生」では、先行予約も行っている。
芸風
コンビのネタは二人でそれぞれ作成し、漫才ではなくコントを主体としている。その内容は不条理や意味不明と形容され、シュールと称される事が多い。初期段階よりシュールなコントが売りになっており、お笑いニューウェーブ等では、シュールコントの元祖として紹介されていた。一般にコントにおいてはボケとツッコミという構成が定式であるが、よゐこの場合、ツッコミ担当の濱口が極度の“天然ボケ”であるため、結果的に「よゐこには、ボケ・ツッコミの観念が無い」との認識がなされており、それが彼ら独自の芸風になっている。よゐこ自身は早いうちから「有野がボケ、濱口はそれに対する戸惑いでツッコミではない」としている。しかしテレビ等でのやりとりから「濱口がボケで有野がツッコミ」と認識している人も多い。因みにシュールさを倍増させる台詞の『棒読み』は、敢えてしていたという徹底ぶり。しかし、最近ではベタなパターンに変わってきており、コントでもネタに応じて、主にボケを担当する方という決まりが無くなっている。
テレビやイベントなどでは、コンビのボケ役でない方が司会進行役を務めるという、定石どおりの役割分担をしていたが、ウッチャンナンチャンの南原清隆から「よゐこは有野が仕切をした方が良い」とのアドバイスを受け、また濱口の「天然ボケ」が広く認知された事や、近眼でカンペなどを濱口が読めないことなどから[2]、有野が進行役をするようになった。
テレビに徐々に映り始めた頃には不仲を売りにし、すぐ「コンビを解消してやる」とお互いに言い合っていたが、現在は『いきなり!黄金伝説。』などでも見られるように、むしろ絆の深さを表に出している。
2000年頃には、「よーいこ(よーいドンのポーズで)」・「すべってごめんね」・「はいはいはいはいすべりましたよ」のギャグを使っていたこともある。このギャグは『ウッチャンナンチャンのウリナリ』内で目立った活躍がなかったよゐこに南原が伝授したもの。
かつてテレビでは「気配を消す達人」と言われていた彼らだが、ラジオのトークには定評があり、古田新太がメインパーソナリティを務める『MBSヤングタウン』水曜日に出演して以降、現在までほぼ途切れることなくMBSラジオのラジオ番組に出演し続けている。(一時期はそれぞれ単独で出演)
有野・濱口共にアニメやゲーム好きとして知られており、それに関わるテレビ・ラジオ番組に多数出演している。
* 最新アニメの人気ランキング番組などでもなんなく付いていき、更には解説できることから需要が高い。特に『ガンダムシリーズ』や『新世紀エヴァンゲリオン』のファンであることは加藤浩次とともに芸能界でも有名。
* コントのネタのテーマを、全てアニメ絡みにした単独ライブを開催したこともある。翌年には全てゲーム絡みのコントだけの単独ライブを開催した。
* 『クマのプー太郎』や『クレヨンしんちゃん』等、アニメに声優として出演することもある。両作の共演者である矢島晶子についてのエピソードを話す事も多い。
* 1999年12月25日には、コナミから二人がプロデュースしたゲームボーイ用ソフト『おわらいよゐこのげえむ道〜オヤジ探して3丁目〜』が発売。セールスについては「びっくりするほど売れなかった」とのこと。またその後も、バンダイナムコゲームスから『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』、『とったど〜 よゐこの無人島生活。』(共にニンテンドーDS用ソフト)と彼らをメインキャラクターに据えたゲームが製作されている。
* 『ゲームセンターCX』の活躍から、有野の方がゲーム好きとして認識されており、実生活においても携帯ゲーム機を持ち歩きプレイしているとのこと。また濱口も在宅時には、アダルトDVDとCSのアダルトチャンネルを見ている時以外は、『Xbox 360』のオンラインゲームをやり続けているほどの、現役のゲームマニアである。
キンケシ
キン肉マン消しゴム(きんにくまんけしごむ)とは、1983年 - 1987年、1991年 - 1992年、1998年 - 1999年頃、2008年 - に発売されている、消しゴムを漫画『キン肉マン』に登場する超人の形に成型したもの[1]。通称、「キン消し」。なお「キンケシ」表記はバンダイの商標となっている[1]。「消しゴム」と呼ばれてはいるが、あくまでも玩具扱いであり文房具としての消しゴムとしての用は成さない。
概要
ゆでたまご作の漫画・テレビアニメ『キン肉マン』のヒットに伴い、1983年 - 1987年にバンダイや様々なメーカーによって製作され、主にガシャポンによって販売された[1]。基本的には約4cm程度の大きさのものが大半だが、メーカーやシリーズなどにより、でかキン消し、チビ消しシリーズ、SDシリーズなど大きさ・形の異なるものも製作されている。基本的に単色で作られており、緑色や肌色など様々な色のものが存在する。その人気により、ゲームソフト、玩具菓子、テーマソング「キン消しのララバイ」、など派生した展開も行われた。
その種類は非常に多く、バンダイが発売した正規品のレギュラーシリーズだけでも418種類[2][3]があり、メジャーな超人からマイナーな超人まで様々な超人の消しゴム人形が製作され、中には超人が超人に技を掛けているなどの変り種も存在する。人気に便乗して模倣品も作られており、一見すると本物とそっくりなものもある。模倣品も含めて、これらをコレクション目的で収集する者がおり、コレクターの中にはサイトなどでその様子を公開している者もいる。生産数が少ない、人気が高い、などで入手困難なものはプレミアが付き、そういったものはインターネットオークション等で高値で取引されている。
1991年 - 1992年に日本テレビ系でテレビアニメ「キン肉マン キン肉星王位争奪編」が放送されたことに関連して、キンケシ「キン肉星王位争奪編」がバンダイより発売された。
1998年 - 1999年頃、リバイバルブームの影響によって「キン肉マン復刻版」(バンダイ、全22種類)、「復刻KINKESHI」(ユタカ、フルカラー・肌色各10種類)、「キン肉マン・キン消し」(バンプレスト、王位争奪編の復刻版)、「でかキンケシ」(バンダイ、丸越が発売していたデカケシの復刻版)など数々の復刻版キン消しが相次いで発売された。
2007年夏、キン肉マンの版権元である東映アニメーションがバンダイに「全418種類のキンケシをキン肉マンDVD-BOXの封入特典とすることは可能か?(大意)」との問い合わせを行った事や『キン肉マン』誕生29周年記念が制定されたことがきっかけとなってキン消し復刻版が発売される運びとなり、2008年3月よりガシャポンによって人気のある既存の種類を復刻版として販売しており[2][4]、誕生29周年記念商品として「純金製キンケシ」も通販サイトにて期間限定発売[5]されている。2008年12月20日に特典として「キンケシ復刻版418体」付きの『キン肉マン コンプリートDVD-BOX』(生誕29周年記念完全予約限定生産)が発売される[6]。
また『キン肉マン』だけでなく、ゆでたまごの他の漫画作品である『闘将!!拉麺男』や『SCRAP三太夫』などにおいても登場キャラクターの消しゴム人形が製作され、ガシャポンなどで発売されていた。これらもコレクションの対象とされることもある。
作者:つれずれ草
更新日:2008年11月30日 17時10分
EXILE公演で1000万円特別仕様車販売
EXILE公演で1000万円特別仕様車販売
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081130-00000006-nks-ent
11月30日10時3分配信 日刊スポーツ
EXILE公演で1000万円特別仕様車販売
7人組ダンス&ボーカルユニットEXILEの初の5大ドーム公演が29日、福岡ヤフードームでスタートした。EXILEは08年を「パーフェクトイヤー」と位置づけ、1月に「3枚のベスト盤発売」「5大ドームツアー」「『劇団EXILES』公演」「雑誌『月刊EXILE』創刊」「アニメ『エグザムライ』本格始動」の5本を掲げた。ドーム公演は「パーフェクトイヤー」の最後を飾るプロジェクトだ。
ダンスが武器のパフォーマーにとって、大規模なドーム会場は不利に思えるが、ピンチをチャンスに変えるのがEXILE。最後方の観客にもメンバーが見える工夫がなされ、リーダーHIRO(39)らは1曲目から全力でパフォーマンス。3万5000人の観客は「パーフェクトイヤーの旗」をふり、ボーカルATSUSHI(28)は「1番後ろの方が楽しそうにしてくれて…。EXILEで幸せに思う」、TAKAHIRO(23)は「後ろの方までヤバイです」と話した。
コンサートグッズは86種類販売され、メンバープロデュースの商品もある。中でもビッグなのはHIROプロデュースのトヨタの高級バン、ヴェルファイア(ロイヤルラウンジLE)。コンサートグッズとして車が販売されるのは例がない。価格はオープン価格となっているが、通常仕様価格が774万円で、HIROの特別仕様は1000万円以上になるとみられる。HIROは「パーフェクトイヤーだからインパクトがあった方がいいなと。飾ってあるので見てください」とはにかんだ。ライブ会場で申し込みできる。
来年のEXILEのテーマは「ジェネレーション」。HIROは「すごいこと考えています。世代、性別を超えて新たな夢を提供できるシステムをつくりたい。来年もインパクトある活動になります」。大みそかは札幌ドームでのカウントダウン公演とNHK紅白歌合戦出場。紅白は札幌からの中継となる。
EXILE公式サイト
EXPG HIROが提言し、設立したダンススクール
YouTube EXILE - ただ逢いたくて (第2章 Ver.) (Full PV)
YouTube EXILE 「LAST CHRISTMAS」フル音源(歌詞付き)
WHAM!の名曲「LAST CHRISTMAS」の日本語カヴァーをフルで聴けます
エアズーカ これであなたも、カメ○メ波!? 販売価格:1,449円(税込)
空気の弾が発射できます!!髪がなびくその感覚は、なかなか味わえない、
ピーリング石鹸 アイナソープ400 にきび・にきび跡予防に!販売価格:2,940円(税込)
Wikipedia より
EXILE
EXILE(エグザイル)は、日本の音楽(J-POP)とダンスパフォーマンスの融合を目指した7人組のヴォーカル&ダンス・ユニットである。 所属事務所はメンバーのHIROが社長を務める株式会社LDH。所属レコード会社はavex(レーベルはrhythmzone)。台湾では「放浪兄弟」の名義となっている。
* 初めの頃の給料は15万円プラス歩合だったという。J Soul Brothersでの売れなかった時期は給料は6~10万位で、生活も困窮し観客0人の時期もあったという。ひどい時はメンバーで味噌汁を水で薄めて、人数分で分け合って飲んでいたという。公園でしわくちゃのシャツを着たまま、ダンスの練習していたこともあったという[1]。
* EXILEのモデルになったグループはいくつかあり、その中でも一番影響を受けたのがアメリカの大所帯HIP HOPユニットのウータン・クランで、 MAKIDAIが言うには「ウータン・クランはグループの在り方とかエンターテイメント性とか共鳴するところが多い。一軍のメンバーは映画出たり、洋服屋をやるメンバーもいる。EXILEがモデルにしたユニットのひとつといっても過言ではないです」とのこと。また、MAKIDAIが言うにはブラック・アイド・ピーズの音楽のジャンルを問わないスタイルにも大きな影響を受けたという。
* 多くのアルバムにインストが収録され、それらはライブでパフォーマーがダンスする際に用いられることが多い。ちなみに『EXILE EVOLUTION』に収録されている「DANCER'S ANTHEM」はオカザイル効果もあって、着うたランキングでトップ10に入ったことがあった。
* 楽曲やグループとしての方向性を決める際にはメンバーで会議を開いて話し合うという。以前、HIROが「ライブのリハーサルの6,7割が実は話し合いで終わる」と話していた。また、振り付けは自分たちで決めているという。
* 脱退したSHUNも含めた初期メンバーの6人全員が50万円ずつ出資し、有限会社エグザイルエンターテイメント(現:株式会社LDH)を立ち上げた。メンバー全員が社員であり、HIROが社長を務めている。2003年の終わり頃にある会社と合併し、株式会社LDHとなった。
* HIROの提言により、EXPG (EXILE PROFESSIONAL GYM) を開講。ダンスの基礎はもちろん、EXILEの楽曲の振り付けの指導も行っている。
* 2004年からはソロプロジェクトも展開しており、ドラマ、バラエティ番組にも出演している。2007年5月には、HIROを除くパフォーマー4人が「劇団EXILES」を結成し、舞台進出(HIROはゼネラルプロデューサーに就任)。同年9月20日よりステラボールにて25公演を行った。
* グループからの派生ユニットが多く、後述の「EXILES」に加え「EXILE VOCAL BATTLE AUDITION 2006」出身者5名で構成された「Dreamers」、同オーディション出身者の「JONTE」、EXILEの前身「J Soul Brothers」の名を継いだ同名のグループが存在する。
* 自身のアパレルブランド、「混じり気のない本物」をコンセプトにした「Gold 24karats Diggers」を展開。現在は東京の中目黒と大阪の心斎橋に店舗を構えている。
* ZEEBRAが以前ラジオでクラブで踊ってるダンサーが増えてきたと話しており、EXILEあたりの影響が大きいと話していた。
* ある競走馬に「ウマザイル」と名前を付けた。ちなみにそのウマザイルのデビュー戦は6着に終わった。
音楽性
デビュー当初はJ Soul Brothers時代の路線を引き継ぐように、R&Bテイストのダンスナンバーを数多く取り入れていたが、プロデューサーのMax Matsuuraが離れた後はポップス路線に移行していく。特に2003年の『Together』のヒット以降この傾向は顕著となり、同作品の作曲を手がけた原一博による楽曲が量産されることとなる。この時期にメンバー達の間で、キャッチーなポップス曲のことを指す「エグキャッチー」という言葉が生まれている。音楽性の変化に合わせてボーカル二人(特にSHUN)による作詞の曲が占める割合が増していった。ATSUSHIはviviのインタビューにて、「最初はR&Bっぽく歌おうと無理していた。けど、 Kiss youあたりからいい意味で力が抜けてきて、無理にR&Bを抱えなくても、日本人として伝えなくちゃいけないことがたくさんあると気付いたんだ」と話している。 第二章開幕後は「エグキャッチー」に加え、「Lovers Again」や「彼方から此処へ」のようなミディアム系統の曲を「エグセツナ」と称するようになった。同時にATSUSHIによる作詞が大幅に増え、第一章最後のアルバム『ASIA』では3曲だったのに対し、5thアルバム「EXILE EVOLUTION」では15曲中5曲、6thアルバム『EXILE LOVE』では12曲中半分を占めるようになった。
曲をレコーディングする際には方向性をメンバー同士で打ち合わせをし、レコーディングスタジオにも全員が来る。レコーディングしている際にダンスの振り付けも考えるという。R&BやHIP HOP系の音をベースした曲を作る際はトラックメイカーにいくつかトラックを用意してもらい、メンバー内でしっくりと来る曲を選ぶという。その上で歌詞を書いたり、ハモりを積んでいく。よほどのことがない限り、トラックから先に制作を始めるという。曲によっては、海外でレコーディングすることもある(主に GIANT SWING夫妻の拠点であるアトランタ)。なお、第二章以降ボーカルディレクション、TAKAHIROへの指導も主にATSUSHIによって行われている。パフォーマー達も歌うテーマに関しての意見は言うが、歌に関してはボーカル二人に全て委ねているという。
メンバー
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[編集] パフォーマー
* HIRO(ヒロ、本名:五十嵐広行(いがらし ひろゆき)、神奈川県横浜市(生まれは広島)、1969年6月1日 - 血液型:AB、身長174cm、体重63kg)
パフォーマー兼リーダーで、所属事務所LDHの社長。所属アーティストのマネジメントからダンススクール、アパレルブランドの運営まで、ビジネスの舵取りを担う。
元ZOOのメンバー。15歳にしてディスコに足を踏み入れ、そこで初めて見た黒人のダンスに魅せられ、ダンスの道へと導かれることとなる。横浜市立金沢高等学校出身。現AVEX社長の松浦勝人は高校の先輩にあたり、松浦が当時、店長をしていた貸しレコード屋にHIROが足を運んではレコードを借り、高校の文化祭の時にDJを頼んでやってもらっていたという。高校卒業後、1989年にテレビ番組「DADA」のダンスコンテストでLMDに参加した。結果、HIROは準優勝を飾りそのコンテストを観ていたスカウトに声を掛けられ、1990年にLMD改めZOOとしてシングル「Careless Dance」でデビュー。ZOOは一気にスターダムへと駆け上がった。しかし解散後の1996年に女性ボーカルとHIROを含めた二人のダンサーからなるユニット、「LUV DELUXE」を結成するも間もなく解散。1995、6年にはDREAMS COME TRUEのコンサートツアーにバックダンサーとして参加していた。また、ニュー・エディションのベル・ビヴ・デヴォーやボビー・ブラウンにダンスを認められ踊った事もある。吉田美和の「お客さんは自分のお金でライブに来てくれるのだから心を込めて一生懸命やろう」という言葉がHIROに自身の慢心を悟らせるキッカケになったという。そこで自身が変わっていく決心を固めたという。そんな中で現パフォーマーたちと出会い、貧乏でも一生懸命ダンスに打ち込み、自分に付いて来てくれる彼らのためにも今の状況を変えたいと思い、「もう一度ダンスで勝負がしたい」と頭を下げ、何度も頼み込んだ結果、J Soul Brothersとしてデビューするチャンスを松浦勝人から与えられ、アルバイトとして、AVEXからデビューする前の卵たちのレッスンも任された。 HIRO自身、「松浦さんは人生の恩人。松浦さんがいなかったらJSBもEXILEもなかった」と話している。
会社を設立するに至って、「ZOOの時にはいくつもの可能性があった。でも俺はそれを活かすことすらできなかった。本当に惨めで悔しい思いもしたし、自分自身の力でもう一度武道館に立ちたい。Your eyes onlyでEXILEとして、初めてテレビに出た時、テレビの出演がこんなに嬉しいことだと思ったのは初めてだった。今こそ自分たちの夢を一つ一つ叶えていくチャンスが来た。今こそ会社を作ろう」と決心し、メンバー6人で50万ずつを出資し、青山のビルの地下に有限会社エグザイルエンターテイメントを設立。HIROに会社を作るよう提言したのも松浦である。
同事務所の佐田真由美と交際していたが、2007年3月に破局していたことが明らかとなった。
2005年の1月25日に自身が書いた「Bボーイサラリーマン」を出版。7月、自身の経歴を綴ったDVDを発売した(『HIRO ZOO→JSB→EXILE』)。
「THE COVER MAGAZINE」を連載中。
以前はヘビースモーカーだったが、J Soul Brothers時代にダンスの練習中に「煙草止めないと死ぬかも」と感じ、止めたという。
「いつ休んでるんだろうと思う位、俺たちのことと、EXILEのことを考えてくれている。寝ている時も考えているんじゃないかっていう位。もうデビューしてからロクに休みを取ってないだろう。感謝してもし切れない位」と言わしめる程の仕事人でもある。また、メンバーに対して怒る人物ではないという。「怒ったって、自分で感じてみないと分からないこともある。だから俺はよほどのことがない限りメンバーに口出ししない」というポリシーを貫いている。脱退したSHUNも「HIROさんにはなぜか甘えられる。あれだけの器のでかい人はそうそういるもんじゃない」と話していた。
SHUN脱退後はATSUSHI1人で行くかどうか悩みに悩んだと言うが、最終的にはHIROの「一般からボーカルを募集しよう」という一言でオーディションを主催することになった。その理由としてHIROは「夢を持った人たちにいいきっかけを作れる場所を提供できたらいいし、ミリオンアーティストがオーディションやるっていうのもEXILEのエンターテイメントとしてのインパクトも強いと思った」と話している。
* MATSU(マツ、本名:松本利夫(まつもと としお)、神奈川県川崎市、1975年5月27日 - 血液型:O、身長170cm、体重58kg)
HIROに影響され、ダンスは16歳のときに出会い、18歳のとき本格的に始めた。1996年、ダンスチーム「BABY NAIL」結成。1998年、「JAPANESE SOUL BROTHERS」加入後「J Soul Brothers」のメンバーとなる。
2005年、東京・中目黒にブランドショップLMD(現・24karats)を立ち上げ、デザイナーを兼務。4thアルバム『ASIA』収録の「Why oh why…?」では初の作詞を手がける。
2007年1月5日深夜にフジテレビで放送された「EXILE〜6年目の真実」の番組内で難病指定を受けている不全型ベーチェット病に侵されていることを告白し、左目の視力をほとんど失っていることを明らかにした。母親曰く、高校時代からべーチェット病だったという。メンバーも第一章の時から、MATSUがベーチェット病に侵されていることは知っていたが、左目がほとんど見えなくなるほど重くなっていたとはMATSU自身の口から告げられるまで知らなかったという。疲労が溜まると病状が悪化し、熱が出て、動けなくなる位になる。そうなると3日位は寝込まなければ治らないと話している。 HIROはMATSUと話し合い、今後の選択をMATSU自身に任せた。MATSUは悩みに悩んだが、HIROに「EXILE続けます。たとえ失明したとしても後悔はないです」と言ったという。MATSU自身も「この病気を持っている自分の姿を見せることによって、自分と同じ病気を持っている人やその他の人たちに勇気を与えられたらと思いますし、自分の使命でもあると思ってます」と話していた。
2007年のツアーの初日の前日に父親を亡くしたが、当日はステージに立った。亡くなる二日前に川崎の実家に訪れた際、指輪をもらった。MATSUはツアー中にその指輪をはめてステージに立っていた。
NORTH WAVE 82.5FMのラジオ番組「SESSIONS FOUR」の水曜日担当をAKIRAと共に努めている。
2005年9月に自身の単行本「Love Music Dance」を発売した。また、FLOOR netにて「MATSU (EXILE)の"Love Music Dance"」を連載中。
以前は喫煙者だったが、今は非喫煙者である。
* USA(ウサ、本名:宇佐美吉啓(うさみ よしひろ)、神奈川県横浜市、1977年2月2日 - 血液型:AB、身長177cm、体重65kg)
「BABY NAIL」加入後、「JAPANESE SOUL BROTHERS」加入。「J Soul Brothers」のメンバーとなる。EXILEでの活動と並行して、2005年にはメンバーであるMAKIDAIと共に、ラップグループ「RATHER UNIQUE」を結成し、MCを務める。
現在居酒屋を経営している父親はかつてディスコで「ファンキー・サミー」と呼ばれたほどの人物で、EXILEのリミックス・アルバムのCMに出演し、EXILEとともに歌番組に登場しダンスを披露したこともある。桜塚やっくんの同級生であり、中学時代は、共にサッカー部に所属していた。スピードワゴンの井戸田潤はアルバイト先の先輩でもある(2006年12月4日放送「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」より)。
ダンスのテクニックはEXILEでナンバー1だと言われている。DOBERMAN INC.のTOMOGENも「クラブで踊ってるダチに聞いたら、USA君が一番ウマいゆうてました」と「Evolution.D」で話していた。
2006年から毎週木曜にInter FM76.1MHzのラジオ番組「Evolution.D」の司会を務めている。
雑誌『DANCE STYLE』にて『USA STYLE』を連載中。『DANCE EARTH』2008年10月10日好評発売中。
* MAKIDAI(マキダイ、本名:眞木大輔(まき だいすけ)、神奈川県横浜市、1975年10月27日 - 血液型:O、身長180cm、体重65kg)
中学3年生のときの文化祭にてダンスに目覚める。10代の頃から「アンダーグラウンド・ストリート・キッズ」というグループを結成し、都内の駅前で踊っていたという。HIRO曰く、「BABY NAILイチのダークホース」。ZOOのメンバーが講師をしていたダンススタジオの生徒で、高校生の時からよくクラブやディスコに出入りする。神奈川大学経済学部貿易学科に入学するも2年で中退。1996年、MATSUと共に「BABY NAIL」を結成、アメリカのニューヨークへ留学しダンスの修養を積む。アメリカのクラブで黒人のダンスを見て、強い影響を受けたという。MISIAのバックダンサーを務めたり「つつみ込むように…」のPVにダンサーとして出演している。1998年、ダンスチーム「Hip Hop Junkeez」を結成。1999年、「J Soul Brothers」に加入し現在に至る。当初、HIROが「J Soul Brothers」を結成するために「BABY NAIL」に声を掛けたメンバーはMAKIDAIではなくRYUJIというダンサーだったが、RYUJIが事情があって抜けなくてはならなくなり、 MATSUがMAKIDAIに声を掛けたことで加入が決定した。
最初に観たライブがNHKホールで行われたZOOのライブだという。
2004年には本名でドラマ「ホットマン2」に俳優として出演し、2007年3月公開の映画「渋谷区円山町」では主演を務める、その他は恋のから騒ぎ 〜Love Stories?〜「金星から来た女」(2008年10月10日、日本テレビ系)。バラエティ番組に本名で時々出演している。2005年にはメンバーであるUSAと共にRATHER UNIQUEを結成し、MC兼リーダーを務める。この時期に同事務所のモデル、長谷川潤との交際が報じられたが、2008年に破局していたことが明らかとなった。
Hip Hop/R&Bに精通しており、クラブDJとしての顔も持ち、MIX CDも発売した。2005年からはJ-WAVEのラジオ番組「OH!MY RADIO」の月曜日担当を務めている。
ブレイク系のダンスを得意とする。以前、岡村隆史とブレイク対決をしたこともある。
ニューヨークに渡っていた頃、語学学校に行っていたため、英語が堪能である。エグザムライでも少しだが、英語を披露する場面があった。Black Eyed PeasのFergieやWill I Am、R&BシンガーのUsher、Anerieとも親交がある。
以前、野良犬を拾って保護したこともあるというように、温和な性格である。
DJ MAKIDAI名義で初となるミックスCD「Treasure Mix」をリリースした。
* AKIRA(アキラ、本名:黒澤良平(くろさわ りょうへい)、静岡県磐田市、1981年8月23日 - 血液型:A、身長184cm、体重74kg)
HIROに憧れ、16歳からダンスを始める。RATHER UNIQUEの元メンバー(USAとMAKIDAIとは違い、パフォーマーとして務めていた)。RAG POUNDにも所属している。長い手足を使ったパントマイム系のダンスを得意としている。渋谷のクラブで踊っていた時にそれを偶然見ていたMAKIDAI とUSAの目にとまり、「Rather Unique」のパフォーマーとして加入した。その後第二章開幕にあたり2006年6月、メンバーに誘われEXILEに加入する。
MAKIDAIとUSAが初めてAKIRAに会った時、MAKIDAIとUSAはAKIRAのことを黒人だと思い英語で声を掛けたという。当時を振り返ってAKIRA自身も自分が黒人だと思いこんでいたと述べている。1995年に観たSMAPのライブでの岡村隆史のダンスに強い影響を受けたという。
NORTH WAVE 82.5FMのラジオ番組「SESSIONS FOUR」の水曜日担当をMATSUと共に努めている。
2008年、TBS系「Around40〜注文の多いオンナたち〜」でドラマ、「花より男子F」で映画デビューを果たした。
本名ではなく「AKIRA」となったのは「クロサワといえばアキラ(黒澤明)」と言われたため。
女優の長澤まさみは小学校の後輩にあたる[2]。
他メンバーの立ち位置は変わらず(HIROとUSAは正面から見て右側、MATSUとMAKIDAIは正面から見て左側)、AKIRAは新たにヴォーカル二人の間の少し後ろがポジションとなった。
[編集] ヴォーカル
* ATSUSHI(アツシ、本名:佐藤篤志(さとう あつし)、埼玉県越谷市、1980年4月30日 - 血液型:A、身長175cm、体重67kg)
4歳より高校卒業時までクラシックピアノを習う。高校在学中にボーカルとして誘われて組んだバンドがきっかけでヴォーカリストを志すようになる。元々は父親が普段からギターを片手に歌っていたことにも影響を受けたという。高校卒業後、専門学校(ESPミュージカルアカデミー)でヴォーカリストとしての技術を磨く。在学中に何度かオーディションを経験し、2000年にテレビ番組「ASAYAN」主催の男子ヴォーカリストオーディションで最終選考まで残る。しかし、「これから伸びていくであろうシンガーを発掘する」という主催者側のコンセプトに合わず落選。このとき優勝したのがケミストリーである。オーディション落選後、半年間、渋谷のクラブなどで歌う生活を送っていたが、ATSUSHIの存在を知ったHIROからコンタクトがあり、結果として2001年にEXILEの前身「J Soul Brothers」へ加入することとなる。なお、この時点では1ヴォーカル・4パフォーマーとなる予定であった。
EXILEにとって唯一無二のヴォーカルであると同時に、看板を背負っている。メンバーは「ATSUSHIの声は俺たちの夢」と話している。ジムに通う以外に空手を習い、心身を鍛えていると話していた。
2004年12月、EXILEでの活動と並行して4人組コーラスグループ「COLOR」を結成(2006年12月にメンバーチェンジし自身は脱退、プロデュースに専念)。多くの楽曲を提供している。
坊主頭にサングラスがトレードマーク(2003年5月頃までは坊主頭ではなかった)。坊主にした理由として、格好をつける自分に嫌気がさしたからと述べている。また、髪型を気にしなくて済むからとも話している。サングラスをかけていた理由については、最初「ストレスで顔がむくんだこともあったからそれを隠すため」と話していたこともあった。
愛用のサングラスはデリーゴ社(イタリア)の「POLICE」ブランド。2008年9月には同社と契約を結び、POLICEブランドの日本のイメージキャラクターとなり、11月にATSUSHIモデルが発売される予定。
2005年の終わり頃から喉の酷使により、ポリープを患い、SHUN脱退後から第二章開幕の間に手術を受ける。ATSUSHIはその他にもSHUNの口から辞めると告げられた時不安に苛まれ、酒を飲まなくては寝れない日々が続いたらしく、二日酔いの状態のままステージに立っていたことも原因の一つだろうと語っている。入院中、様々なことを考える時間が出来たため、「Giver」や「Yell」といった曲の歌詞を書いたりしていたという。また、この出来事を通じて、「歌うことの喜びを強く感じるようになった」と話しているように、自身を大きく変える出来事となったという。
久保田利伸を尊敬しており、2007年3月9日には多数の邦楽歌手が集結した「MTV iCON 久保田利伸 powered by 楽天オーディション」で共演。日本初のi CONに選ばれた久保田利伸と共演、「Indigo Waltz」を披露した。ATSUSHIはASAYANでも、同氏の「Missing」や「Cymbals」を歌っている。なお、「Cymbals」は久保田利伸のトリビュートアルバムで「ATSUSHI from EXILE」として、カバーしている。
第二章としてのCDのリリース前に、2006年10月に憧れていたBoyz ? Menと競演を果たす。Boyz ? Menのウォンヤは「ヴォーカルディレクションでも全く直す所がなかったよ」と絶賛していた。
右胸のタトゥーは『i'm gentle and convey true love』と彫ってある。背中には「EVOLUTION」と掘られている。右腕には19歳の時に入れた、平和の象徴となるバッファロー。ATSUSHI自身、「タトゥーは見せびらかすために入れたんじゃなくて、何かに逃げたくなったり後戻りしたくなった時、支えてくれるものが欲しかった。それがこのタトゥーで、音楽で生きていこうという自分自身への誓いを立てるために入れた」と話している。
第一章の時は自分が一番年少者だったが、TAKAHIROが入ってきてからそれが変わり、「TAKAHIROを引っ張っていかなくてはいけない」という意味でも責任感が出てきたと話している。
viviにて、「ATSUSHIのJAM SESSION」を連載中。
喫煙は、止めてはまた吸い始めることを繰り返していたが、HIROの「ATSUSHIが吸うんなら俺も吸うぞ」という一言で喫煙を止めたという。
「ESPミュージカルアカデミー」ではATSUSHIが学校のポスターの表紙となっている。
総制作期間8年を費やし、日中ボランティア団体が作り上げた、日中合作映画「純愛」のためにノーギャラで詞・作曲共に自身で作り上げた「INORI」を提供している。リリースの予定は今のところないらしく、「もし出ることになるならば、損得が関わらない形で出したいと思う」と話している。
* TAKAHIRO(タカヒロ、本名:田?敬浩(たさき たかひろ)、長崎県佐世保市 、1984年12月8日 - 血液型:O、身長180cm、体重63kg)
沖縄空手を12年やり(日本武道館の全国大会に団体戦で出場、5位入賞)有段者。両親の後を継ぐために福岡県美容専門学校を卒業後、美容室「MINX」で見習いをしていた時期もある。雑誌でカットモデルをしていた経験も有り。特技は空手(初段)、書道(八段)、絵画と演歌を好み、20歳の頃から、よく演歌(主に前川清、五木ひろし)を聴きながら晩酌すると述べている。
友人に誘われ同伴した2005年のツアーで、「運命のヒト」を聴き、深く感銘を受ける。その日をキッカケに友人から「EXILE狂い」と呼ばれ、「家で聴く音楽も、カラオケで歌う曲も全てEXILE。それ以外で聴いていたのは演歌だけ」だと言う程、EXILEの大ファンとなると同時に歌手への道を志すようになる。父親の「人生は一度しかない、やりたいことをやれ」という一言で美容院を辞め、肉体労働で金を稼ぎ、夜にレッスンに通うようになる。 SHUNの脱退に伴うオーディション「EXILE Vocal Battle Audition 2006〜ASIAN DREAM〜」の開催を知り、東京会場から参加して勝ち上がり、2006年9月22日、日本武道館における最終審査を制し、新ヴォーカリスト・7人目のメンバーとしてEXILEに加入した。
同年7月10日放送の日本テレビのオーディション番組「歌スタ!!」ではメインコーナーである「廻る!運命のうたちだい」でEXILEの「運命のヒト」を歌って合格し、作曲家林哲司から曲の提供を受けメジャーデビューすることになっていたが、その後林のHPにて、経緯の詳細は伏せられているが曲提供の件が破談になったと発表されている。この件について「歌手になりたい、というより、EXILEになりたかった」とコメントしている。
同年8月3日よりミュージカル・テニスの王子様にも海堂薫役として出演する予定となっており、公式HP上及び関連誌上でもコメント掲載などが行われていたが、7月24日に急遽「体調不良」を理由に降板を発表し、7月30日、「EXILE Vocal Battle Audition 2006」の一次予選東京会場に参戦した。
2007年3月1日、TAKAHIROの母校、長崎県立佐世保東翔高等学校の卒業式にてサプライズライブが行われた。
TAKAHIROを選んだ理由としてメンバーは「とにかく人に接する態度が素晴らしかった。リハーサルを重ねるうちに、彼のパフォーマンスに対する真剣さやEXILEへの想いが伝わってきた。なにより、“人間力”があるというか、“目力”がある。我々の探し求めていた人材だ」という。また、「一番存在感があった。キャラ的にも合ってるし、第二章を進化させるとしたらTAKAHIROしかいないと思った」とも話している。ATSUSHI自身も「礼儀正しくて素直で、レコーディング審査の時に僕の声と重なった時、言葉に出来ない良さを感じました」と話している。また、当時放送していた「RZTV」で「TAKAHIROの歌を聴いた時、彼と共に歩んでいく未来を予感した」と話していた。決める時は全員一致でTAKAHIROに決めたという。 TAKAHIROも「頭がおかしくなりそうな位嬉しいです。1万人分の責任を持って、『こいつなら仕方ないな』と言われる位に頑張りたい」と話していた。
元メンバー
* SHUN(シュン、本名:清木場俊介(きよきば しゅんすけ)、山口県宇部市、1980年1月11日 - 血液型:O、身長173cm、体重63kg)
幼い頃に父親の影響で尾崎豊と、長渕剛の曲に触れ音楽への道を志すようになり、中学生の頃から地元である山口でバンド活動、ギターの弾き語りを行う。中学生の頃に、教師に「とりあえず座っているだけでいいから授業に出ろ」と言われ、「ただ座ってるだけじゃつまらないから」と詞を書き始めていた。高校1年の時、兄のことを侮辱した教員を暴行し、退学になった。高校中退後はトビ、鍛冶屋、大工等のバイトに携わる。持っている資格は危険物取扱者丙種、車両系建設機械運転技能講習。19歳頃に建設関連の会社を設立。会社の社長として働く一方で、仕事が終われば詞を書き溜め、休みの日は路上で語り弾きをしていた。その頃ATSUSHI同様「ASAYAN」の男子ヴォーカリストオーディションを受け、第3次審査まで進むも審査員の態度に腹を立て辞退。その後、最後の覚悟の上、地元テレビ局のボーカルオーディションを受け優勝、偶然その場に居合わせたavex社員の目に止まる。その後、HIROはATSUSHIとSHUNに「レコーディングやるから」と言って、急遽行った「Your Eyes Only」の英語版のレコーディングの時に初めてSHUNの歌を聞き、一発で惚れ込んだという。こうして、1ボーカル・4パフォーマーで行く予定だったが、ボーカルは二人となり、J Soul Brothersの「SHUN」としてデビューすることとなった。
音楽学校で音楽を学び、レッスンを受けてきたATSUSHIとは逆に、ストリートの世界で歌い続け、独学で歌を身につけたボーカルである。ただ、ボイトレはやっていたようだが長続きしなかったという。HIROに出会うまでダンスも全く知らず、また初期には音楽性の違いでATSUSHIと衝突したこともあった。ATSUSHIが喉を悪くした時、煙草を吸っていたスタッフに「ATSUSHI、喉悪いんで止めてもらえますか?」と言ったというように、仲間想いの一面もある(ATSUSHIは「6年目の真実」にて、その言葉を思い出して涙していた)。
EXILE在籍中はシングル曲、アルバム曲問わずEXILEの楽曲の作詞を多数手がけた。初期のライブでは想いを伝えることに重点を置き過ぎるため、歌っている途中に泣き出してしまうことがしばしばあった。
ジムが嫌いなようで、ボクシングをして体を鍛えているという。ツアーの際はいつもサンドバッグを持ち歩いていたという。
2005年1月、本名でソロデビュー。EXILEのSHUNとは異なり、ロック路線へ転向している。
2006年3月27日、公式ホームページ上で突如EXILE脱退を発表し、2006年3月29日付で正式脱退。2005年の同時期にメンバーに脱退の意を申し出たという。メンバーも動揺する一方、「いつかSHUNちゃんがEXILEを出て行くであろうことは予想していた」と話していた。脱退後はソロ活動に専念。脱退の動機として「『SHUN』として納得のいく様に唄えなくなった、このままでは自分が自分としてここに居ることが嘘になってしまうと感じた。そんな気持ちのままで歌うのはEXILEのメンバーにもファンにも失礼なことなんじゃないかと思った。ただ、一つだけ言っておきたいのは、EXILEが嫌になったわけでもなければ、単純にソロに集中したいから辞めるわけでもない。自分が自分であるために、貫きたいことを貫くために脱退を決意した」と述べている。2004年ごろには既に悩んでいたようで、HIROが出版した『Bボーイサラリーマン』には、かつてSHUNがスタッフとのトラブルが原因で、ツアーのリハーサルを5日間無断で休んだ後、脱退を申し出たというエピソードが書かれている。毎日jpのインタビューで「僕の中で EXILEとしてできることは完結した。アリーナクラスでライブをし、ミリオンを獲得して『頂点』が見えたと納得した。悪い意味ではなく、表現者として新しいところを求めたくなったんです」 とも話している。
脱退してからもEXILEのメンバーとは親交がある。TAKAHIROのことも「最高のヴォーカリスト」と認めていた。EXILEを脱退した当時は思い出さないようにガムシャラに仕事に打ち込んでいたようだが、時が経ち「冷静に見られるようになってきた」というように、2007年のライブの大阪会場にも顔を出した。ATSUSHIはSHUNが脱退してから2年経った2008年現在でもSHUNのことを語る時は涙することがある。最後の出演となった MUSIC STATIONでタモリに「SHUNはどんなメンバーだったか?」と聞かれた時に、「歌手としての相方としてもそうだが、人間的にも凄く勉強になるところがあったし、本当に最高の相方だった」と話していた。
清木場自身、「観客としてEXILEを見たらやっぱり格好良くて、以前より益々ファンになった。自分があんな素晴らしいグループにいたことを誇りに思う」と話していた。
2008年9月17日付けで所属事務所LDHとavexからも独立した。
また、「練習してうまくなるのは好きじゃない。歌は一発の感覚。レコーディングも、ほぼ一発録りです。曲や歌詞からのイメージをふくらませ、突き詰めてから本番に臨む。その新鮮さをずっと求めています。」というポリシーを持っているという。
作者:つれずれ草
更新日:2008年11月30日 15時7分
矢口真里、飯田圭織の長男の死にショック! 人気ブログの更新を自粛
矢口真里、飯田圭織の長男の死にショック! 人気ブログの更新を自粛
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081130-00000001-oric-ent
11月30日8時56分配信 オリコン
矢口真里、飯田圭織の長男の死にショック! 人気ブログの更新を自粛
拡大写真
矢口真里[08年3月撮影]
元モーニング娘。の矢口真里が29日(土)、ブログで、同じくモー娘。メンバーだった飯田圭織の長男が生後6ヵ月で急死したことについてコメントした。「私も知らなかったので、報告をうけすごくショックをうけました。かおりが苦しんでいたことに気づいてあげられませんでした」と心情を綴り、「今日はブログの更新をこの後、控えさせていただきます」と、この日はブログの更新を自粛した。
矢口真里のプロフ
2期メンバーとして98年5月にモー娘。に加入した矢口は、 05年1月に飯田が卒業するまで6年以上にわたって共に活動し、2代目リーダーだった飯田の後、3代目リーダーを引き継いだ。デビュー当時から共に活動してきた飯田に「これから芸能界復帰をするとゆうことなので、私も力になれればいいなと思っています」と盟友としてサポートを誓った。
矢口は、今月14日(金)にオフィシャルブログ『初心者です。』を開設。3日後には人気ブロガーとして知られる上地雄輔を追い抜き、アメーバブログのランキング1位を記録するなど、注目を集めている。
また、モー娘。の生みの親である音楽プロデューサー・つんく♂も29日(土)、自身の公式ブログで「僕も多くを語るほど、たくさんの言葉が思い浮かんできません」と訃報への心境を綴っている。さらにつんくは「本人も申しておりますとおり、ファンの皆様へまた素敵な音楽を届ける事が、長男も一番喜んでくれるんじゃないかと僕も思います」と、悲しみを乗り越え芸能活動を再開する飯田に期待を寄せていた。
初心者です。 矢口真里によるブログ。
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Wikipedia より
矢口真里
矢口 真里(やぐち まり、1983年1月20日 - )神奈川県横浜市泉区出身 神奈川県立瀬谷高等学校中退/は、日本のタレント、歌手、女優である。身長は144.5cm。所属事務所はアップフロントエージェンシー。ハロー!プロジェクトの一員で、元モーニング娘。・ミニモニ。のメンバーであり、モーニング娘。第3代リーダーと初代ミニモニ。リーダーも務めた。元タンポポのメンバーでもある。
人物・エピソード
概要
「恋のダンスサイト」で「セクシービーム!」のパートを任されたことで注目され始めてブレイクした。それ以後本人は、自分はモーニング娘。のセクシー担当だと自称しているが、あくまで自称である。自他共に認めるバラエティー向きなタレントで、ハロープロジェクトの中でもメディアへの露出が多いマルチタレントとしての側面を持つ。
愛称
* まりっぺ(初期の愛称)、やぐっつぁん(後藤真希等に呼ばれている、最初は恐らく安倍なつみ/北海道室蘭市の東室蘭出身/が使用していた)、ヤグッチョリーナ(命名は堀内健。ネプチューンのメンバーとビビる大木限定で使用)、おやびん(主に辻希美と加護亜依/奈良県大和高田市出身/から)。
* HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPで松本人志に「冷蔵庫」の愛称を付けられ、頻繁に松本にイジられていた。本人曰く、名字系で呼んで欲しいとのこと。
* 一人称は「オイラ」だったが、「あなたがいるから、矢口真里」の中で「私」に直すと宣言して以降徐々に「私」を使うことが多くなり、娘。脱退以降は殆ど「私」に統一された。しかし、時々かつての癖が出ることもあり、「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」「世界まる見えテレビ特捜部」に出演した際、ビートたけし(自称が「オイラ」)の前で釣られて「オイラ」と言ったこともある。
身体特徴
* 足のサイズは、2005年6月18日に日本テレビ系「ナイナイサイズ」に出演した際では20.5cmと語っているが、それ以前に「アヤカのとつげき英会話」に出演した際等では22.5cmと語っている。また、2008年1月21日放送の「徹子の部屋」では、足が小さすぎて合うサイズの靴がないので実際のサイズは分からないと発言している。
* 元祖ミクロ系(身長150cm以下)美少女で後の辻希美や加護亜依と小さい女の子のブームを作った張本人。その小ささを生かしたミニモニ。を結成した。
* ダンス等でかなり身体を鍛えている為、筋肉質な肉体の持ち主である。ナイナイサイズで披露し、MCのナインティナインを驚かせたこともある。
* 身長は、2008年11月5日にフジテレビ系「爆笑レッドカーペット」に出演したとき、天津向のネタに応じ、「履歴書では145cmと書いているけど、実際は144.5cm」と語っている。
性格・特技
* ホラーなどが苦手。FUNでドッキリとして突然、リングの貞子が画面に登場するとモーニング娘。全員が恐怖に慄いた。しかし、ドッキリはこれに終わらず、今度はテレビの下の台から貞子が台を突き破って出てくると、娘。全員がパニックに陥る。その中で特に矢口は貞子の出現に体を痙攣させながら、号泣してしまった。
* いわゆるひもパンを愛用しており、安倍なつみにプレゼントしたこともあると本人がラジオ番組で語っているが、プレゼントされた安倍は履いていない。嫌いな飲み物は牛乳。特技は、狭いロッカーやボストンバッグ・スーツケースに納まれる事、口をハート型に出来ること。「痛快!明石家電視台」の出演時、針金ハンガーをくぐり抜けることも出来た。
* ハロプロきってのファルセットテクの持ち主である。MISIAのEverythingや荒井由実の中央フリーウェイ、岩崎良美のタッチなどのカバーが得意曲。
* 嫌煙家である。2008年6月6日放送の南パラZ!にて、「カラオケボックス禁煙法」を提案した。
* 流行が下火になってからそのものに興味を持ったり、また非常に飽きっぽい性格であると「やぐちひとり」の番組中に劇団ひとりからたびたび指摘されている。
趣味
* 漫画を読むこと・テレビゲーム・K-1観戦。自宅に漫画本を揃えており、その量は漫画喫茶並み。中でもお気に入りは「ONE PIECE」。その後、ONE PIECE2007年映画「ONE PIECE〜砂漠の王女と海賊たち〜」で念願の応援団となる。また、同漫画の登場キャラクターのモデルにもなった。
その他エピソード
* 2007年8月、インターネットラジオの公開録音で「いつも言ってますが、来年結婚します」と発言。また、連日の猛暑で家では全裸と発言している[1]。
* 実家暮らし。
* ミニモニ。加入当時、TVの罰ゲームで飯田圭織が矢口の代わりにメンバーに組み入れられ、ジャンケンぴょん!を振り付けありで歌わせられた時「矢口の恥ずかしさが、たった今理解できました」と飯田に同情されていた。
* 2001年、お願い!モーニング番組内でのカード占いで、「恋愛を選ぶと離別があり、仕事を選ぶと大ラッキー」というカードが出ていたが、4年後の2005年にその通りになってしまった。
* 日記等、文章を書くときはノートなどを横向きにしないとかけない癖がある。学生時代から、ノートを斜めにして書く癖が次第にエスカレートし、現在に至る。普通に書こうとすると、書くごとに字がかなり右肩上がりしてしまい、文章をまっすぐ書くことが出来ない末に、編み出した方法である。
* 父親は、春風亭昇太/静岡県清水市(現静岡市清水区)出身/と同年齢。そのため、昇太の独身ネタで引き合いに出されることがある。昇太本人も、舞台での矢口との共演を機に知るところとなり、非常にショックを受けたらしい。
* かつてはSPEEDの大ファンだった。
* 2008年8月8日の「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」にゲスト出演した際、自身が「振込め詐欺」(電話中に詐欺だと気づくも、相手が恐喝に切り替え、怖くて振り込んでしまったとのこと)に逢った事を告白した。
交友関係
* 夏川純/広島県出身/、青木さやか/愛知県尾張旭市出身(生まれは愛知県名古屋市守山区)/、ネプチューン、その他芸人多数と交友関係がある。
* 同期の保田圭/千葉県富津市出身/、後輩の石川梨華とも仲が良く、ラジオ番組で3人で遊びに行った話をしていた。特に同期の保田圭とは喧嘩をしたことがないほど仲がいい。
* 安倍なつみとも仲が良く、ファンはこの2人を「なちまり」と呼んでいる。矢口が体調不良でラジオ番組を休んだ時に代わりを務めた。モーニング娘。脱退後も変わらぬ仲のようで、ラジオやイベントで度々名前を口にしている。
* 中澤裕子からは、「私の矢口」などと呼ばれ、キスされたり、ハグされたりと、非常に可愛がられている。
* 2005年4月に週刊誌・フライデーに俳優の小栗旬との交際が伝えられ、モーニング娘。を脱退。 2006年4月には破局したと2006年6月に日刊スポーツで伝えられた。
記録
* 「オールナイトニッポン」パーソナリティ史上最年少&最低身長記録を更新。
* 「矢口真里のallnightnippon SUPER!」にて男子中学生リスナーの占拠率100%を記録。
* モーニング娘。で初めて、卒業コンサート抜きの緊急脱退。
* うなぎ百選 第十八回うなぎ川柳大会「超アイドルで賞」受賞(うなぎ百選2005春号掲載)。受賞作は「ひつまぶし お箸でつつく ひまつぶし」である。
飯田圭織
飯田 圭織(いいだ かおり、 1981年8月8日 - )は、日本の歌手、タレントである。ハロー!プロジェクトの一員で、モーニング娘。のメンバーであった。血液型はA型。北海道室蘭市出身。夫は元7HOUSEのケンジ。所属事務所はアップフロントエージェンシー。
* 愛称-かおりん、かおたん(主に石川梨華が使用)本人が自分を呼ぶ場合は「かおり」もしくは「かお」。
* 学歴-北海道札幌稲西高等学校(北海道立)中退・東京都立代々木高等学校定時制中退。同級生にはタレント・歌手の上原多香子がいた。
* 趣味-絵を描くこと。交信(下記参照)すること。
* 身長168cmと、長らく歴代モーニング娘。メンバーおよび、ハロプロ全体でも最長身の座を守っていたが、飯田を追い抜くメンバーとして、Berryz工房の熊井友理奈が176cm、℃-uteの梅田えりかが170cmを記録している。また、2007年にはモーニング娘。に168cmのジュンジュンが加入し、飯田と並んだ[1]。
* 「スタイルが良く、美形」と評する意見があり、つんく♂は著書『LOVE論』において「怒った顔がかわいい女」と評している。
* 見た目の体格相応に腕力もある。モーニング娘。として『LOVE LOVEあいしてる』出演の際、楽屋レポートにやって来た篠原ともえをひょいと抱き上げてちゃぶ台に乗せたシーンは視聴者にちょっとした衝撃を与えた。
* デビュー当時から長い髪がトレードマークであったが、モーニング娘。卒業を機にショートカットにした。
* 2000年まで黒髪にしていた。
* 空想が好きで、そのためボーッとしてることが多々あり、メンバーおよびファンの間から“宇宙と交信している”と言われている。彼女が担当したラジオ番組にもそのキャラクターを生かした「飯田圭織・今夜も交信中!」(2001年〜2003年。ニッポン放送等NRN全国ネット)というタイトルがつけられた。
* モーニング娘。3枚目のシングル「抱いてHOLD ON ME!」(1998年9月9日発売)で担当したフレーズ「ねえ、笑って」は、歌番組「うたばん」(TBS系)で、司会の石橋貴明が、彼女の表情をデフォルメしてマネたものが視聴者を中心に広まり、ついには彼女を代表するフレーズとなった。また、石橋に「顔が怖い」と言われ、加入した当時の後藤真希に「怖そうな人」に挙げられていた。
* 結成当時のモーニング娘。のリーダーに立候補するが、スタッフの判断により最年長の中澤になる。
* イラストや詩の才能があり、絵本を出版したり、個展を開いている。
* スポーツが得意で、特に足の速さに自信がある(本人いわく「縄跳びの成績は5」)。2001年3月に行われたハロプロ大運動会(ハロー!プロジェクトとしては初めてのスポーツイベント)ではMVPを受賞して