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トップ > Factory Records > Factory Records - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月8日 7時)
Rooftop1月号のラインナップ
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exclusive interview
MASS OF THE FERMENTING DREGS 雑文爆裂都市 ~COLUMN THE BURST CITY
◎吉田 肇(panicsmile)『中央線高架下における悪あがき的音楽生活』 REGULARS |
作者:Rooftop
更新日:2009年1月31日 0時0分
この盃を受けてくれ
5日にネイキッドロフトで行なった酒の妖精さん新年会にお越し下さった俺達界隈の同志の皆様、9時間以上もの長丁場をあんな狭い席で堪えて頂きまして本当にどうも有難う御座いました。いつものことながらグダグダ感満載のバカ呑み会でしたが、ご満足頂けましたでしょうか? 至らぬ点が多々あったかとは存じますが、そこはまたあんなイベントをやる時に良い反省材料として活かそうと思ってます。
ゲストでお越し下さったイースタンユースの吉野さん、ナートのセイキさん、カメラマンの菊池さん、にゅうおいらんず/落語芸術協会のベン片岡兄貴、ミルク&ウォーターの浩三さん、ローディーのクマさんにはイベントに贅沢な花を添えて下さって心から感謝です。お忙しいなか本当にどうも有難う御座いました。
副店長のめぐを始めとするネイキッドロフトのスタッフも本当にお疲れ様。みんなの力なしではとても成立しませんでした。また何か楽しいイベントをやろうね。
そして主役の清水さん。店側の提案を快諾してくれたうえ、貴重なオフの時間を潰してまで色々と仕込みをしてもらって、本当にどうも有難う御座いました。ま、シミさんに対しては今更そんなかしこまることもないか(笑)。
しかしまぁ、今年“は”と言うか今年“も”と言うか、よーく呑んだなぁ。まずイベントの前日にシミさん家で打ち合わせをしようってんで、絶品カレー鍋をご馳走になりながら白角のボトルをほぼ空けちゃって思いきり二日酔いだったし、それでも当日は9時間イベントを終えた後も店で3時くらいまで呑んで、その後にシミさんやめぐたちと近所の焼肉屋に行って俺は爆睡、6時半くらいに目を覚ましてアルプスという店に移動、閉店する9時まで再び呑んでいたという文字通りドアホウな酒盛り続きでした。もう少し肝臓さんに優しくしないとなぁ。ははは。
あいにく参加できなかった方のために当日どんな演目があったかと申しますと、2008年を振り返るコーナーで個人的に観られなかった怒髪天の去年のライジングサン出演時の映像及びシミさんと友康さんが参加したアースシェイカーのカバー・バンドの映像を見たり、シミさんが今年行った初詣(浅草寺)の写真や近所のスーパーマーケット巡りをした時の写真を見ながら四方山話を繰り広げてみたり、“シュミ”の園芸ならぬ“シミ”の園芸ってことでシミさんが自宅で栽培していたキュウリ・トマト・ナスの成長過程を見たり、“シュミ”の演芸ならぬ“シミ”の演芸ってことで『人志松本のすべらない話』(シミさんの私物)をみんなで見たり、シミさんの好きな映画(『ショーシャンクの空に』、『リーサル・ウェポン』、『48時間』、『インディ・ジョーンズ』、『シザーハンズ』、『ダイ・ハード』、『椿三十郎』:あと用意できなかったけど『フィールド・オブ・ドリームス』と『ウィンズ・オブ・ゴッド』がお好きだそうです)やアニメ(『風の谷のナウシカ』、『侍ジャイアンツ』、主題歌を喜んで唄っていた『Yes!プリキュア5GOGO!』:『名探偵コナン』と『トムとジェリー』と『ワンピース』もありましたが時間の都合上見られませんでした)を見ようとするもDVDの読み込みが異常に悪かったり、『カリオストロの城』の銭形警部の名台詞を4回立て続けに見てみたり(何度見てもアホみたく泣いた・笑)、シミさんに課したアンケート100連発を一気に読み上げたり(シミさんの自筆によるスケッチブックを用意)、壇上にあげたお客さんの悩みをシミさんが解決してみたり、新曲『労働CALLING』のPVをみんなで見て俺達界隈の結束を固めたり、最後はシミさんからの挨拶と三本締めで終了。こうした内容を予め決めてはいたものの、今年はちゃんとしたタイムテーブルを敢えて作らなかったんですが、今回は例年以上にあっという間に感じました。自分でもそれだけ充実感を覚えつつすこぶる楽しかったんでしょう。
あと、この日のためにシミさんが会場限定のTシャツを30枚用意してくれてまして(そのうち2枚は俺とめぐでもらってしまいました、買えなかった方すみません)、そのボディにも描かれていたキャラクターの名前が休憩時に判明。ちょっと書くのが憚られますが、“パプユゥ”君だそうです(笑)。シミさん、余り言いたくなかったみたいですけどね(笑)。
個人的なハイライトはやっぱり、吉野さんの生歌かなぁ。まさか来てくれるとは、ましてや唄ってくれるなんて思ってもみなかったですが、本当に贅沢な話であります。イベントで司会をやりながらうっかり泣いたのは、増子さんのご両親からのビデオレターを見た時と、ブッチャーズの吉村さんが真横で『プールサイド』を弾き語りしてくれた時以来かなー。弦が一本切れているにも関わらず唄い上げてもらった『サヨナラダケガ人生ダ』と『街はふるさと』、掛け値なしの名演でした。感涙。
そんなわけで2009年の仕事始めとしてはなかなかハードだったけど(笑)、何だかとても幸先の良いスタートを切れた気がしてます。それもこれも、あの日あの場所にいてくれた皆さんのお陰。散々乾杯して一緒に笑い合えた皆さん、今年はお互い実りある一年にしましょうね。こちら後手後手になっている本業の今年初取材(お面な方々)を終えてまたこれから呑んだくれまーす(笑)。(しいな)
作者:Rooftop
更新日:2009年1月7日 21時8分
ひとりごと第44回 1/7

☆並木猫軍団
今月号で、異彩を放つ“並木猫軍団のENJOY CAT LIFE!!”。なぜ、Rooftopに猫ちゃんの写真がこんなにいっぱい載ってるの~?と思った方もいらっしゃるかと思います。でも、ENJOY PUNK ROCKでお馴染み、ヘッドロックオーガナイザー/PUNK ROCK DJとして活躍中のDJ-namijin (NUMBER.42)さんちのかわいい猫ちゃんたちが主役の写真集『ゲンキのサバトラ猫日記 』(DVD付き)だって言うんだから、Rooftop的には「ぜひ取材させてください!」という流れで取材させていただきました。
当日は、猫ちゃん達のために建て替えをしたというnamijinさんの家での取材だったのですが、まず家がすごく綺麗なことに驚きました。しかも!猫ちゃん達も快適に暮らせる家ということで、猫用扉も設置されてましたよ。あまりに良い家でキョロキョロしていると、猫ちゃん達の登場!
ハムくん(写真右)は、人が来たら口のにおいを嗅ぐのが癖らしくて、私にもにゅ~っと顔を近づけて来たのですが、最初は何だかよくわからないので、「噛まれる?!」と思ってヒュッとよけてしまいました。が、飼い主のnamijinさん曰く、「噛まないから大丈夫だよ」とのこと。ハムくんによるお出迎えの儀式を終え、いざインタビュー!となったのですが、今回写真集の主役になっているサバトラのゲンキくんが、namijinさんの膝の上に座り、会話の合間に相づちのように「ニャ~」と鳴く姿がかわいくてかわいくて…。
猫って、人になつかないものだとずっと思っていたのですが、ゲンキくんは人なつっこくて、すごくキュート!今回の写真集でも、DVDでも愛らしい姿を存分に見せてくれています。namijinさんが、「猫と同居しているような感じ」とおっしゃってましたが、猫が不快に思うことをするでもなく、自由に育ててきたため、人間を怖がることもなく、のびのびとしているんだなと思いました。1月号のRooftop編集中は、頭がショートしかけた時に写真集やDVDを見ていたおかげで、かなり落ち着いた気持ちで編集をしていたような気がします。
インタビューページの写真は、写真集に使用されている写真をお借りしました。やっぱり猫ちゃん達と一緒に住んでいる方が撮る写真が一番良い表情をしていると思います。私も何枚か撮らせてもらったので、ちょこっとだけアップしました。
やっぱり動物っていいなーとつくづく感じました。今回は美猫のモー子ちゃんに会うことが出来なかったので、また、猫ちゃん達に会いにnamijinさんちに遊びに行かせてもらおうっと。
(やまだ)
作者:やまとも
更新日:2009年1月7日 15時34分
MASS OF THE FERMENTING DREGS('09年1月号)

初期衝動を詰め込んだこのスピードの先へ!
2008年1月の1st.アルバムの発表以来、シュアな耳を持つロック・ファンの間で強烈な注目を集めてきたMASS OF THE FERMENTING DREGS(マス・オブ・ザ・ファーメンティング・ドレッグス)が、新作『ワールドイズユアーズ』をリリース。中尾憲太郎(ex.NUMBER GIRL、SLOTH LOVE CHUNKS、SPIRAL CHORD)を共同プロデューサーに迎えた本作で彼女たちは、剥き出しのダイナミズムはしっかりとキープしつつも、イノセントなポップネスを向上させることで、自らのセンス、ポテンシャルを大きく広げてみせた。激烈にノイジーでありながら、時にキラキラとした光を放つギター・サウンド、そして、ヒリヒリとした痛み、葛藤を気持ちよく解放してくれるメロディ・ライン。マスドレの音楽は今年、さらに強い支持を得ることになるだろう。(interview:森 朋之)
ギュッと、ドン!と。
──昨年の10月に下北沢SHELTERでdipと対バンしたときのライブを見せてもらったんですが。
宮本菜津子(ボーカル&ベース):あ~そうなんや。ありがとうございます。
──あの時点で既に、ニューアルバム『ワールドイズユアーズ』に入っている曲を演奏してましたよね?
宮本:やってましたね。ちょうどやり始めた感じのときやんねぇ?
石本知恵美(ギター):うん。
宮本:もう録り終わってたんですよ、あのとき。
──あ、そうなんですか。
宮本:昨年の10月にまとめて全部やったんです。録りから…。
石本:ミックスから。
宮本:マスタリングまで、全部。10日間くらいかな?
──かなりタイトな感じでした?
宮本:ギュッと(笑)。そんな感じやんなぁ?
石本:うん。ギュッと、ドン!と(笑)。
──“ギュッ、ドン”っていうレコーディングで(笑)。まず、ギリギリまで研ぎ澄まされたようなサウンドがすごく良くて。こんな音で録りたい、っていう音質に対するイメージってありました?
石本:音質…どうやった?。
宮本:そういうのは…中尾さんに任せたところがありますね。なぁ?
石本:うん。私たちのほうから「こういう音で」っていうのはなかったかな。
──中尾さんとのレコーディングは初めてですよね?
宮本:はい、初めてでした。
──制作前には、何か話をしました?
宮本:というか、スタジオからずっと一緒にやってたので。曲作りとかに関しても、一緒にスタジオに入ってアドバイスをもらったりとか、1ヶ月前、2ヶ月前からずっと一緒に行動してたんですよ。だから改まって、レコーディングに向けて話をするっていうわけではなくて、作曲作業の流れのなかでいろいろ話してたっていうか。
──アドバイスっていうのは、わりと具体的なテクニカルなことだったりするんですか?
石本:そうですね。「こういうのはどう?」っていうアイデアだったり。それを受けて、実際にやってみて、ああだこうだと話して。」
宮本:「ここでこういう展開はどうかな?」とか。最初は私たちだけで作るんですけど、要所要所でアドバイスをもらって。そんな感じですね。
──そうやっていろいろと試していく中で、よっしゃ!っていう瞬間があるわけですよね。
宮本:うん、多々ありますね、それは。
石本:うぉー!! っていう感じで(笑)。
宮本:やっぱり、私たちよりも遥かにたくさんの音楽を知ってるし、経験もあるじゃないですか。だから、出てくるアイデアとかも“それは私たちからはなかなか出てこない”っていうものが多くて。
──アレンジの幅も広がりますよね、当然。
宮本:そうそう。それはいいことやと思うし。
──でも、それをジャッジするのは2人だったりするんじゃないですか? 最終的に“これはカッコいい、間違いない”っていうところに至らないと、楽曲としては成立しないだろうし。
石本:うん、そうですね。
宮本:でも、「これはちょっと…どうやろう?」っていうのはそんなになかったかな。
石本:これもいいけど、こっちもええなぁ、っていうのはあったけど。
宮本:うん。
──音源を聴かせてもらってもライブを見ていても感じるんですけど、音に対する価値観というか、“これがカッコいい!”って思うポイントがふたりの間ですごく近いんじゃないですか?
宮本:あ~。
石本:まあ、でも、そうやろうな。
宮本:うん。ただ、基本的な知識があんまりないんですよね、音楽の。(ギターを弾く真似をしながら)これが何のコードかはわかってない。あと、何拍子になってるかがわからんとか。なんとなくやりながら「今のガーッ!っていうの、カッコいい」とか「今のシュン!っていう音がいい」とか言ってて。そういう感じでやってるから、カッコいいと感じる感覚は似てるんだと思いますね。
石本:「これは無いなぁ」っていうのも…。
宮本:うん、「無いなぁ」も一緒やもんな。
──複雑なコード感だったりとか、「これ、変拍子?」っていうリズムもあって。それもカンでやってることなんでしょうか?
宮本:まるまる“カン”ですね。そうやんなぁ?。
石本:うん。たとえば曲をまとめるときに「ここは何拍子になって、こっちは何拍子で…」って整理すると、「あれ、どうなってんやろう?」って。
──逆に演奏しづらくなったり。
宮本:そう。もちろん、整理したほうがやりやすくなることもありますけど(笑)。ライブの前に練習してるときも、“振り付け”みたいな感じなんですよ。
──振り付け?
宮本:小節が変わった、みたいな話じゃなくて、(身振り手振りで)ここはこうなる! っていうニュアンスでやってるっていうか。そのほうがたぶん、向いてるんだと思うんですよ。今さら音楽の理論的なことを勉強しても…っていうのもあるし。
石本:うん、そうやな。
宮本:そこは変わらないと思いますね、きっと。
何かフツフツとした感じ
──なるほど。あの、1st.アルバムをリリースした後、バンドに対する注目度も確実に大きくなってるし、周囲の状況も変わってきてると思うんですよ。そんな中で、自分たちのペースやスタイルをキープしていくのって、大変じゃないですか?
宮本:そやなぁ…でも、それほど大きな状況の変化があったとは実感してないかもしれないです。たとえばライブのとき、目の前にお客さんがたくさんおるってなったら、うわーっ!! ってなるけど、逆に言うと、そういう時くらいしか実感することはない。うわ、すごっ! っていうのはあるけど、変わったなぁとは思わないかな。
石本:そうやね。
宮本:すごっ! とは思うけど、自分たちは何も変わってないから。そこは何も感じてないかな。
──たとえばバンドを始めたときに「何年後にはここでライブやって、アルバムをリリースして」みたいなビジョンもなかったですか?
石本:ないですねぇ(笑)。前もって目標があって、そこに向かってがんばっていくっていう感じではなかったから。
宮本:ただバンドがやりたい、っていう感じでしたからね。「バンドやりたいなぁ」から始まり、「かっこいい曲をつくりたいなぁ」に発展し、「ライブもやりたいなぁ」っていうことになり。そこから、やっぱりいっぱいの人に聴いてほしいから、CDも出したいよなぁって。そうやって進んではきてるんですけど、最初に目標があったわけではないんですよね。ビッグになりたい、っていうのもなかったし。
石本:ないな、それは。
──なるほど。ちょっと遡りますけど、ふたりが最初に出会ったのは学校ですか?
宮本:最初に会ったのは高校のときですね。クラスが違ってたんだけど、共通の友達がいて知り合った、みたいな。女子高やったんですけど…最初はどうやったっけ?。
石本:何でやったかな?。
宮本:知恵美ちゃんがニルヴァーナ好き、っていう話を聞いたのは、ケータイの番号を交換してからやろ?
石本:あ、でもねえ、私がメール交換しよって言った。
宮本:わぁ、そうやったっけ? 珍しいな、それ。そういえば手紙くれたもんなぁ。
──手紙?
宮本:ノートの端っこを破って、手紙書いたりするじゃないですか。それを共通の友達からもらったんやっけ? 知恵美ちゃんから直接やった?
石本:直接渡したと思う。
宮本:そうか。私のクラスに遊びにきた時にもらったのか。
──女子高って、どんな学校だったんですか?
宮本:普通ですよ。
──お嬢様っぽい学校とかではなく?
石本:いやー、全然(笑)。
宮本:まったくですよ。セーラー服やったけど。
──でも、ニルヴァーナは好きだったと。
宮本:あ、そうや!! そのときね、知恵美ちゃんのアドレスが“nevermind”やってん。
石本:ハハハハハ! そんなことまで言わんでええやん(笑)。ちょっと恥ずかしい。
宮本:ごめん(笑)。でも、そこからよね? “nevermaind”って、もしかして…って思ったし。カート(・コバーン)が好きやって言ってたし。そう、メールでカートの話したもん。
石本:そうか。
宮本:そのとき知恵美ちゃんが「今ベランダにいるんやけど…」とか言ってて。それ、めっちゃ覚えてるもん。
石本:それも言わんでええわ。
宮本:ごめん(笑)。でも、ホントに覚えてるんですよ。アドレスを見て、私から話した気もするし。それきっかけで、同じ学校でニルヴァーナが好きな子がおるってわかったんやと思います。珍しい! って。
──珍しいですか(笑)。
宮本:いや、それは珍しいですよ。そのときはちょうど浜崎あゆみさんとかがすごい人気になってて、みんなが好き好きってなってるときだったから。でも、私はそのときちょうどロックを聴き始めてて。あ、ロック好きな子が学校におる! って嬉しかったんです。
──何かのインタビューで読みましたけど、hideさんも好きだったんですよね?
宮本:大好き。でも高校のときはhideから、zilchにいってたんですよ。そこからマリリン・マンソンとかにいってしまって、ラウド・ロックが好きになったんですよ。スリップノットとかもちょうど出てきたときで。
──zilchからスリップノットに行くっていうのは、きっとhideさんも喜んでるんじゃないかな、と。
宮本:ははははは! そうだといいですね。大好きでしたもん、コーンとかデフトーンズとか、重いやつばっかり聴いてた。そういうのを聴いてたから、学校にニルヴァーナが好きって子がいるっていうのが、すごく貴重だったんですよね。
──まあ、ニルヴァーナはそんなに重い音ではないですけどね。
宮本:あ~。でも、hideさんのSpread Beaverに参加してたKAZさんがやってたOblivion Dustも聴いてたから、そっからUKのバンドにもいったし。そのなかにニルヴァーナとかホールとか、あとスマパンとかもあって。洋楽ばっかり聴いてましたね、とにかく。
──なるほど。知恵美さんは“カート最高”って感じですか?
石本:うーん、何やろう…。ニルヴァーナの音楽がそのときの自分の状態とかと、たぶん合ってたんじゃないかなと。
──わりと殺伐とした高校時代だったってことですか?
宮本:ははははは。
石本:まあ、どっちかっていうと、「わー、楽しかった!」という感じではないですね。何やろうね?
宮本:高校くらいのときって、具体的なことがあったわけじゃなくても何かフツフツとした感じがあるじゃないですか。そういうのは私もあったな。
石本:そう。何かわかんないですけどね。
宮本:友達もおるし、楽しいっていえば楽しいんやけど、意味もわからずイライラしたりモヤモヤした気持ちになったりっていう。私の場合は、それが重い音楽とリンクしたんだと思いますね。一緒になってワーッと騒ぐ感じではなくて、ひとりで聴きながら「あー、なんか落ち着く」みたいな。
──そこで精神的なつながりがあったんでしょうね、ふたりの間に。
石本:そうかもしれないですね。でも、ホントに仲良くなったのは高校を卒業してからなんですよ。
──バンドをやることもなかったんですか?
宮本:でも、知恵美ちゃんはギターやってたよな。
石本:うん。
宮本:最初がhideさんだったっていうのもあって、私もギターを持っていて楽器は触ったりしてたけど、バンドはそれほどしてなくて。
石本:なっちゃんがやっていたコピー・バンドを見に行ってましたよ。
宮本:それも高校卒業してからやんなぁ?
石本:そうかな。でも、学祭にも出てたやん。
宮本:あ、学祭…。そうか。
──何のコピーバンドだったんですか?
宮本:ハイスタですね。友達が突然、ハイスタに目覚めたんですよ。あと、その子が当時地元のアマチュアのバンドの中に憧れてたドラマーがいて「私、ドラムたたきたい!」って言い出して。で、「なっちゃん、ギター弾いて」って。私ハイスタは聴いたことなかったから、そこで初めて聴いて、ギターのコピーして。…あれ、すごかったよな。だって、ベースおらへんかったやん。
石本:そう、ベースはただ持ってるだけ(笑)。
宮本:ドラムとギターとボーカルで、ベースは持って立ってるだけっていう。
──斬新ですねえ。
宮本:ははははは! それを知恵美ちゃんが見てたんです。わからへんから、全部パワー・コードでやってました。ハイスタ好きな人、ごめんって思いながら。
──(笑)知恵美さんはバンドはやってなかったんですか?
石本:おままごと的なバンドはやってたんですけど、それもおもろなくなって。活動とかはしてないけど、ひとりでガチャガチャやってる、っていう感じでしたね。
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意味より感覚が大事
──ふたりでやり始めたのはどうしてなんですか?
宮本:もともと私と初代のドラムがメンバー募集で知り合って。とりあえずスタジオに入ったりしてたんですけど、そのときのメンバーが大学進学とかでバンドができなくなっちゃって、「やっぱりギターがほしい」ってことになって。で、「あ、そういえばニルヴァーナ好きな子がおった!」って思って、連絡して口説いたんです。
──いきなりバンドだけの生活になったんですか?
石本:そう…かな。仕事もしてたっていうか、高校のときから内緒でやってたバイトを続けてたくらいですけどね。将来の進路はどうしよう? っていうこともありつつ、PAさんになってみたいって思ってたんですけど、具体的に動いてたわけでもなく。どうしよう、どうしよう…っていう感じでした。
──けっこう危ういですよね、それは。
石本:そうですねえ。第3期の暗黒時代だったような。
宮本:ははははは。3回目なんや(笑)。
──(笑)でも、バンドは楽しかった?
石本:そうですね。あのときにマスドレを始めてなかったら、どうなってたんやろうって思います。やり始めたら、すごい楽しかったし。
──このバンドはかっこいい! って思ってた?
石本:単純に3人で音を出したり、セッションしてるときに「今のいいね」ってなったりとか、そういうのでもう、嬉しいんですよ。それが大きかったかな。それまでやってた“おままごとバンド”ではなかった感覚やったから。あと、根拠はないけど、自信みたいなものもあったし。なぁ?
宮本:うん、始めたばっかりやのに何でもできると思ってた。何やったんやろう なぁ? あの恐いものなし感。“俺たち、無敵”っていう(笑)。でも、活動しているとだんだんわかってくるんですよね。他のバンドとかを見て、自分たちの至らなさに気づき始めて…。
石本:もうギターやめたい、とか思ってました。
宮本:1回、ホンマにひどいライブをしてしまったことがあったんですよ。「今日のライブはひどかった」って3人とも感じて、そのときは3人で泣いたよなぁ?
石本:うん、泣いた。
宮本:バンド始めてすぐなんですけど。ライブハウスを出た階段のところで「なんであんなライブになってしまったんやろう?」って、3人で“うわーん”ってなって。今思うと、可愛い なぁ(笑)。
──その時点で既に本気だったってことですよね?
宮本:そうですよね。そうじゃなかったら、泣いたりしないですから。
──そうですよね。曲は最初からオリジナルだけ?
宮本:えーと…。なんとなく自分で作った曲を知恵美ちゃんに聴いてもらったような気がする、最初に。
石本:うん。
宮本:もう、なんとなく、ですけどね。相変わらずパワーコードだけだったし、「何かカッコいいねぇ」みたいな(笑)。
──そのころ作ってた曲って、今 の音とも繋がってます?
宮本:かけ離れてるはいるけど、つながってるかな?。
石本:うーん…。
──やりたいことは変わってないというか。
宮本:いや、そのときどきでやりたいことが変わってはいると思うんですけど、そのときにカッコいいと思うことをやる、っていうスタンスは変わってないっていう。たぶん、曲だけを聴いたら「ずいぶん変わったねぇ」ってことになるんだと思います。
──よく言われてることかもしれないけど、マスドレの音楽って、90年代のオルタナ感がすごくあると思うんですよ。そういうこともあまり意識してないですか?
宮本:えーと、オルタナって、どういうのを言うんですか?
──スマパンもたぶん、オルタナと呼ばれてたと思います。あとはペイブメントとか。
宮本:あ~。
石本:でも、確かに“オルタナ”っていうのはよく言われる。
宮本:こっちは意味がわかってないんやけど(笑)、「あ、そうなんや」って。初期のころはグランジって言われることが多かったんですけど、いつからかオルタナって言われるようになったね。
石本:うん(笑)。
宮本:でも、スマパンとかはすごい好きやし。私はたぶん、オルタナと呼ばれるものが好きなんだと思います。90年代の音楽がすごい好きだから、きっと、そういうことなんじゃないかっていう気がした、今。
──なるほど。でも、リアルタイムではないですよね?
宮本:スマパンが解散したのがちょうど高校のときなんですよ。だから最後のアルバムから遡って聴いてみたりとか。そういうことはしてました。
──ものすごく前衛的なこともやりつつも、メロディはしっかり持ってるバンドですよね。
宮本:そう。何をやってもスマパンってポップじゃないですか。たぶん、そういうところに惹かれたんだと思うんですよ。あとね、やさしい音楽と攻撃的な音楽を一緒にやってるって思ったんです。そういうバンドは私にとって初めてだったんですよ。
──それって、マスドレの音楽にも共通してますよね。触った瞬間に壊れてしまいそうな繊細さと、めちゃくちゃ凶暴な感じがひとつになってるというか。
宮本:あ、そうかもしれないですね。そうそう…。
──歌詞についてはどうですか?
宮本:最初はあんまり歌とかなかったんですよ。だって、ボーカリストを探してましたから。でも、なかなか合う人がおらんし、だったら誰か歌える人が歌おうかってことになり。歌がある曲に関しては歌詞を書いてたけど、あんまり“自分が歌う人や”っていう感覚もなくて。
──今回のアルバムは1st.よりも歌が際立ってますよね?
宮本:あ、そうですね。それは意識してたというか、そういうモードだったというか。歌をちゃんと聴かせたいと思ったり、メロディの力を信じていて。だから、歌がたってるって言われるのは嬉しいです。
石本:メロディラインを大事にっていうのはみんなが思ってましたね。
宮本:1st.のときは言うたら、何も考えてなかったんですよ。歌よりもギターのリフで押したいと思ったり、全部音で埋めたれ! っていう感じやったり。
石本:今もそういう感じはあるけど、“間(ま)”だったりメロディを大事にしながらギターのアレンジを考えてます。そういう意識の変化はあるかな。ギターもわりとシンプルなんですよ。重ねるためにアレンジを変えてっていうのはない。そういうことができひんっていうのもあるんですけど(笑)。
宮本:ははははは。そう、たぶんね、難しいことができないんですよ。というか、難しいことに興味がない。
──歌詞は始めから日本語でした?
宮本:はい、日本語でした。私ねえ、日本人が英語で歌ってるのが好きじゃないんですよ。たとえば帰国子女っていうか、ずっとあっちで暮らしてて、母国語みたいになっているならいいと思うんやけど、そうじゃないと“なんでいちいち英語にするんかなぁ?”って思うから。わからへんやん、そんなん、っていうのがあるし、あとは自分がしゃべれないですから(笑)。まあ、今回は『She is inside, He is outside』で英語の歌詞もあるんやけど。
──と言っても、歌詞は「She is inside/He is outside」だけですけどね。
宮本:そう、めちゃくちゃ短いし、誰でもわかるじゃないですか、きっと。長い歌詞を英語にするっていうのは、これからもないんやないかなきっと。
──書き方は決まってます? 歌詞を先に書くこととか…。
宮本:先に歌詞を書くことはないです。まず曲があって、それに歌詞をつけるか、あとは同時に出てくるか。
──じゃあ、たとえば『このスピードの先へ』という曲についても、あくまでも楽曲やサウンドのイメージが先にあったんですか?
宮本:そうですね。みんなの音がひとつになって、そこからイメージを掴んでいくっていう。
──テーマとかメッセージもない?
宮本:タイトルもあとから付けるし、最初にテーマを決めることもないか なぁ。メロディをつけるときに仮で適当に歌っていくんですけど、自分のなかでしっくりくる音っていうのがあって、それが“あ”なのか“い”なのか“う”なのか…その中から言葉が出てきたら、バーッと広がっていく感じですね。
──意味よりも感覚を大事にしている、と?
宮本:入り口としては、“意味よりも感覚”かもしれないですね。そこからは、まったく意味のない歌詞もイヤなので、いろいろ考えることもありますけど。
──なるほど。でも、歌詞はマスドレの魅力だと思いますけどね。
宮本:おー! ありがとうございます。
──具体的なことを歌ってるわけではないんですけど、カタチのないものを掴もうとする感じだったり、そこに伴う焦りだったり、ヒリヒリした気持ちも含まれていて“この感じ、わかる”っていう人も多いと思うんですよね。
宮本:よかった(笑)。嬉しいです。
人にはそれぞれの世界がある
──『ワールドイズユアーズ』っていうタイトルについては?
宮本:えーと、まずは「これはどうかなぁ」っていう話をみんなでして。メンバーが「どうかなぁ?」って言うものを無理に押すのも違うじゃないですか。最初は私が提案するんですけど、話しながら決めてますね。
──前向きな感じのするタイトルですよね。
宮本:前向き…前向きです(笑)。
──何か由来があるんですか?
宮本:由来はないですけど、そういうことを言いたい感じだったというか、そのときに。なんか、あんまりトゲトゲした感じじゃないでしょ? 大きい感じというか、とにかく“世界は君のものだよ”っていうことを言いたくなったと言うか。深い意味はありますか? って言われたら困るけど(笑)、一番しっくりくる言葉がこれやったんです。
──ライブに来てくれる人に向けてる言葉でもある?
宮本:みんなですよね。身近にいる人、みんな。ライブに来てくれる人もそうやし、マスドレを聴いてくれる人たちに対して、っていうのはもちろんですけど。
──じゃあ、“世界は自分のものだ!”って思うことはある?
宮本:ない(笑)。だから“ワールドイズマイン”とは言えないんですよね。でも“ワールドイズユアーズ”とは言えるし、それイコール、“人にはそれぞれの世界がある”っていうことだと思うし。
──あ、なるほど。その人の世界を大事にしてほしいというか…。ふたりが高校生のとき、誰かがこの言葉を言ってくれたら、ずいぶんラクになったんじゃないですか?
石本:あ~。
宮本:でも、そうかもしれないですね。なんかねえ、自分が音楽を聴き始めたときとか、ロックに出会ったときの感覚を忘れたらあかんって、すごく思うんですよ。やる側に回っちゃうと、それを忘れてもうたりとか、こっちのエゴだったり理想みたいなもんに頭がいっちゃったりするじゃないですか。でも、私が高校くらいのときにライブを見に行って、そこに求めてたものって何やろう? とか、そういうことはよく考えますね。中学、高校のときの、ロックに出会ったときの救われた感じというか、それは大事にしていたいんです。
──…。僕はもう30代後半ですけど、高校のときハード・コアパンクを聴いて「うぉー、すっきりする!」みたいな感覚って、今も完全に残ってますね。
宮本:お、そうですか。
──でも、それってどうなのかな? って思うんですよ。もう20年くらい経ってるのに、あのころ抱えてたものが何も解決されていないような…。
宮本:うーん、そうなのかなぁ? でも、私は忘れたくないですけどね。そういうことで悩まへんような気がする(笑)。何て言うんやろ、“あのころの自分に向ける”くらいの気持ちでやらなぁかんと思うし、それがなくなったら、一番下にある基本的なのところがなくなってしまうことやから。忘れるのは恐いですね。
石本:そう、下からどんどん積み上げていくものやから。その下の部分がなくなったら、バランスも崩れるやろうし。
宮本:バターン! って崩れちゃう(笑)。だから、忘れたくないよね?
石本:うん。
──話が大きいですけど、ストーンズとかもそうなんでしょうね。スコセッシが撮った映画(『シャイン・ア・ライト』)を観ても、ガキっぽさがぜんぜん抜けてないというか。もうとっくに60過ぎてるのに。
宮本:大人じゃないんでしょうね。くるりの岸田さんとかも、年上のお兄さんやのに“小学生か!”って思うようなこと言うてくるし。おかしいですよ、あの人は。ヌルッとしとる。
石本:ははははは!
宮本:すごいなぁって思いますよ。憲ちゃん(中尾憲太郎)もそういうところあるし、いさこん(サポート・ドラムの吉野功)もそう。いさこんなんか36歳やのに、私たちのテンションについてきてくれるっていうだけですごいと思う(笑)。逆に私たちをおいて、ひとりで暴走したりするから。
──ふたりの感じは変わらないですか?
宮本:落ち着いたかどうかっていうこと? そうや なぁ、だいぶ落ち着いたんちゃうん?
石本:うん、丸くなった。
宮本:そうなんや(笑)。
石本:がさついてたというか、殺気立ってたっていうか、前は。
宮本:さっき言ってた、10代特有の悶々とした感じですよ。あとは楽しい雰囲気に乗れない感じとか。
──浜崎あゆみに乗れない感じとか。
宮本:そうそう。安室ちゃんはけっこう好きやったけど。あゆも嫌いじゃないけど、興味がなかった。」
──(笑)あの、07年にフジロック(ROOKIE A GO GO)に出たときのことも少し教えてもらえますか? 正式な音源をリリースしていないバンドが出演するのは異例だったし、マスドレにとっても大きなポイントだったと思うんですが。
宮本:実はその前にも応募したことがあったんですよ。その時は“今回は残念でした”っていう手紙が来て、「あかんかったわー!」とか言っていたので、出れたのは嬉しかったですね。初フジだったんですよ、あの時が。
──あ、そうなんですか。
宮本:うん。神戸から行こうと思ったら遠いし、お金もかかるし。チケット代とか泊まることとか考えたら…なぁ?
石本:無理。
宮本:いつか行きたいなぁって言ってましたからね。でも、出演した時ははしゃぎすぎて他のバンドを見すぎましたね(苦笑)。
──(笑)そうやって注目が集まり始めると、だんだん欲が出てきませんか?
宮本:欲?
──もっと上に行けるんじゃないか、とか。
石本:まあ、行けるところまでは行きたいですけどね。全力でやってることやから、中途半端な感じではいたくないっていう。行ける限りのところまではやりたいです。
宮本:“上に行ける”っていう言葉の持つニュアンスっていうのが…。
石本:業界的なことなのか…。
宮本:“行ける”ってなんだ? みたいな(笑)。何やろう、成功って何なのか? っていうのも、人それぞれじゃないですか。だから、今の自分たちがやれることは全力でやる、っていう感じなんですよね。自分たちが活動しているなかで、もしチャンスが舞い込んできたならば、それは挑戦するし。そういう感じよね?
石本:うん。
──わかりました。最後に2009年はマスドレの存在がさらに強まっていく年になると思うんですが、ふたりとしてはどういう気持ちでいますか?
石本:まず、ライブはガシガシやっていきたいですね。
宮本:ガシガシ(笑)。1月に9mm Parabellum Bulletと一緒に回らせてもらうし、そのあとは自分らのツアーもある。年明けてから、ライブはけっこうありますね。ライブがないと進んでいけない気がするから、どんどんやっていきたいです。
ワールドイズユアーズ
XQEH1004 / 1,700yen(tax in)
レーベル:Avocado Records
1.21 IN STORES
Live info.
【VAMPIRE EMPIRE TOUR 08/09】
W)9mm Parabellum Bullet
1.24(Sat)広島 ナミキジャンクション
1.25(Sun)岡山 PEPPER LAND
1.27(Tue)神戸 STARCLUB
1.29(Thu)京都 磔磔
【セカンドアルバム「ワールドイズユアーズ」リリースツアー】
2.05(Thu) 神戸HELLUVA LOUNGE
w/ 8otto ...and more!
2.07(Sat)岡山PEPPER LAND
W)YOLZ IN THE SKY ...and more!
2.08(Sun)広島NAMIKI JUNCTION
W)ato ...and more!
2.10(Tue)鹿児島SRホール
W)…to be announced.
2.11(Wed/Holiday)福岡DRUM SON
W)The Cigavettes.
2.13(Fri)京都磔磔
W) lostage
2.14(Sat)金沢VANVAN V4
W)YOLZ IN THE SKY ...and more!
2.15(Sun)新潟JUNKBOX mini
W)mudy on the 昨晩/THE HILLS
2.18(Wed)東京 下北沢SHELTER
W) …to be announced.
2.20(Fri)仙台MACANA
W)lostage / 雪山遭難隊
2.22(Sun)札幌SPIRITUAL LOUNGE
W)FLUKE / シガレットケース
MASS OF THE FERMENTING DREGS東名阪クアトロワンマンツアー決定!
3.19(Thu)名古屋 CLUB QUATTRO
OPEN 18:00 / START 19:00 ADV.2,800yen
3.20(Fri)心斎橋 CLUB QUATTRO
OPEN 18:00 / START 19:00 ADV.2,800yen
3.29(Sun)渋谷 CLUB QUATTRO
OPEN 17:30 / START 18:30 ADV.2,800yen
MASS OF THE FERMENTING DREGS official website
http://www.motfd.com/
photo by Shigeo"JONES"Kikuchi
作者:Rooftop
更新日:2009年1月5日 18時53分
Discharming man('09年1月号)

至高の“櫂”を手にした泥船が帆を揚げるとき
「見ていて下さい。この解散が“こういうことだったのか”ときっと理解できる音源をいつか必ず作りますから」
キウイロールの解散が公表された2004年の秋、故郷・札幌に帰る直前の蛯名啓太に新宿ロフトのバー・ラウンジでそう言われたことがある。また、その翌年の春に始動させたディスチャーミング・マンが初のデモCD-Rをリリースした際には、「このユニットが形になるまで、少なくともあと3年は掛かると思う」という言葉も彼から聞いた。
そんな予言めいた言葉から3年ちょっと。その言葉通り、蛯名は遂に有言実行を果たした。彼の言う「“こういうことだったのか”ときっと理解できる音源」、それこそが2009年の幕開けに発表される『dis is the oar of me』という洒落の利いたタイトルが付けられたディスチャーミング・マンのニュー・アルバムなのである。
バンド形態にとらわれないプロジェクトとしてディスチャーミング・マンを始めた頃、蛯名は自分だけの小さな船をどうにか造り出したに過ぎなかった。オールもまだ調達できていない状態だったが、それでも彼はおぼつかない手漕ぎのままで自身の歌を紡ぎ、それを伝えていく航海へと旅立ったのだ。活動の枠を制限せずに挑んだ航海ゆえに時間も掛かったし、何度も進むべき航路を誤り、気まぐれな雷雨に航海を阻まれる受難もあった。だが、やがて暗雲は去り行き、天は彼に味方した。心から信頼できる仲間たちがボロボロの小さな船を一緒に漕ぐことになったのだ。まるでセイレーンの歌声に引き寄せられるように集いしその顔触れは、玉木道浩(key)、神代大輔(g)、江河達矢(b)、野川顕史(ds)、そしてブラッドサースティ・ブッチャーズの吉村秀樹(g)。現時点で考え得る最も理想的な布陣と環境を手中に収め、機は熟した。高らかに帆を揚げ、大海原を駆ける時が来たのである。
『dis is the oar of me』という作品には、32年間に及ぶ蛯名啓太の航海の軌跡が凝縮されている。この荒れ狂う大海を、君は君自身のオールで漕いでいるだろうか? 破れかぶれのままで出帆する覚悟を君は持っているか? そして、君の航海は今、どの辺りだろうか? 無垢な美しさを湛えた彼の歌声は、僕らにそんなことを問い掛けているようにも思えるのだ。(インタビュー・文:椎名宗之)
全部ぶっ壊して更地にする必要があった
──キウイロールの解散を決めた時点で、その後の身の振り方をどうしようと考えていましたか。
蛯名:解散を自分で決める前から、キウイと並行してソロで唄っていこうと思ってたんですよ、実は。キウイではオグ(小倉一啓)のやりたいような激しい感じの曲をやって、俺は俺で今のディスチャーミング・マンに繋がるような曲をやろうと思ってた。ナイス・ヴューのショウタ君がやってた弾き語りユニットのゴー・フィッシュとか、マニアック・ハイセンスをやってた(松井)一平君がやってるテアシとか、ああいう振り幅の大きいものを同時にやる感覚が凄くよく判るんですよ。俺もそういう感じでやっていこうと思ったんだけど、気持ちのバランスがどうにも上手く取れなくて。ひとつのことしかできないから、俺は。
──でしょうね。元来、凄く不器用な性格だと思うし(笑)。
蛯名:うん。どっちもできないから、どっちかをやるしかないと考えた時に、やっぱり自分のためにやりたいなと思って。それでキウイのメンバーにバンドをやめることを伝えて、しばらく経ってからディスチャーミング・マンを始めることにしたんです。今でこそ吉村さんとかいろんな人たちを巻き込んで巨大帝国みたいなことになってるけど(笑)、最初はもっとミニマムな感じだったんですよ。当時のルーフトップのインタビューでも話してるけど、カーディガンズとかビョーク、ポーティスヘッドやフィッシュマンズみたいな音楽が俺はもともと好きだったんです。ああいうギターがギャンギャン言ってないような音楽が。そういうのを自分なりにできないかなと思ったのが最初の漠然とした発想だったんですよね。実際、そういう感じの曲をキウイをやりながらチョロチョロ作ってたんだけど、余り集中できないままで。本格的に始めたのはキウイが終わって札幌に帰ってからで、ひとりでボーッとしながらピアノをいじって曲を作ってましたね。
──札幌へ帰ることにしたのは、東京での生活に疲弊したことが理由ですか。
蛯名:いや、そんなこともないんですよ。経堂に住んでた頃から自主でやろうとは思ってて、職場が初台だったからその辺に引っ越して、レーベルをバシバシやっていこうという野望も最初はあったんです。だから札幌に帰る選択肢はなかったはずなんだけど、何て言うか、“ひとりなんだなぁ…”と思って。当時は今の巨大帝国みたいな感じじゃなくて、凄くひとりぼっちな感じだったんで。ひとりだったら何処へ行ってもいいんじゃないかなとふと思った時に、一度札幌へ帰って、また東京へ行き来するような生活でもいいんじゃないかと思ったんですよ。そう思えたら、まるで黒いオセロが全部真っ白にひっくり返るように価値観が変わったんですよね。そっちのほうが今の自分には合ってるように思えた。
──キウイロール時代も、2002年に上京するまでは札幌と東京を行き来していたわけですからね。
蛯名:うん、そういうのができてたから。札幌へ戻った一番の要因はそこかな。まぁ、他にも理由は諸々あったんですけどね。札幌に帰った1年後に親父が死ぬんですけど、その頃から体調が悪かったのもあったし。母さんも大変そうだったし、帰ったほうがいいのかなと悩んでた部分もあって。でも、そういう親父の病気とかの問題はあくまで二次的なもので、結局は自分の気持ちに従ったまでなんですけどね。俺自身は東京での暮らしに全然不満はなかったんですよ。お金にも困らなかったし、普通に生活もできてたし。ただやっぱり…心が折れちゃったんですよね。東京の水に合わなかったところもあったのかもしれない。何て言うか、いろんな場所でいろんなことが起こりますよね、東京という街は。たとえば、ライヴを土曜日に押さえたと言っても単純には喜べないじゃないですか? 都内にはたくさんのライヴハウスがあって、他にもいろんないいイヴェントがあるわけだから。ありとあらゆる情報が渦巻いていて、そういうのに遠くから攻められたって言うか…。
──情報過多だし、その流れも異常に早いし。
蛯名:そうですね。要するに、俺は心の許容量が凄く狭いんですよ。だから一度全部ぶっ壊して、更地にする必要があったんです。俺は凄くちっちゃい人間だから、とりあえずすべてをナシにしたかった。このままじゃ危ないと思ったし、今思えばちょっとイカレてた部分が自分の中にあったんです。人のことを邪険に扱ったりしてたし、キウイの時もそれが原因で他人との関係性がこじれたところもありましたからね。今と違って、凄く乱暴なことばかり考えてたし。だから結論で言うと…やっぱり東京が合わなかったんですかね(笑)。
かわいくない自分にぴったりのネーミング
──札幌に帰った当初は、シーケンサーを土台にして気の向くままに曲作りをしていましたよね。
蛯名:うん。自分の好きだったアーティストやバンドがそういう機材を使ってる人が多くて。ECDとか、サイプレス上野とロベルト吉野もそうだし。ビョークやポーティスヘッドもそうですよね、いつも同じアーティストしか言わないけど(笑)。特に打ち込みをやりたかったわけじゃなくて、好きだった音楽がたまたまそういう感じだった。もともと打ち込むのは好きだし、キウイの時もそういう曲作りをやってたから、自分でもできるんじゃないかと思ったんですよ。最初はそんな感じでしたね。
──最初に出来た曲は、デモCD-R(2005年8月発表)にも収録されていた『因果結合666』だったんですか。
蛯名:いや、違いますね。『因果結合666』はデモが出来る2ヶ月くらい前に出来た曲です。最初に出来たのは『逃飛行』なんです。あの曲のイントロのフレーズは、まだ東京に住んでた頃からキーボードの中にずっと入ってたんですよ。そこから膨らませていったんです。『因果結合666』はその後に夢の中で出来た曲ですね。
──『因果結合666』は、デモCD-R、ファースト・アルバム、そして今回のアルバムと、3種類存在することになりますね。
蛯名:そう、ハウンド・ドッグの『ff(フォルティシモ)』みたいに何回も同じ曲を入れるっていう(笑)。
──それだけ何度も収録するということは、蛯名さんにとってとりわけ大切な曲なのかなと思ったんですけど。
蛯名:うん、大事な曲のひとつです。ブッチャーズの『JACK NICOLSON』じゃないけど、それにちょっと近いものはありますね。自分の弱いところを含めて、やるしかないんだなっていう感じと言うか。
──バンドという形態ではなく、あくまで最少構成でのシンプルな演奏の中で歌を伝えることが最初のコンセプトでしたよね。
蛯名:そうです。やってみないと判らない部分があったので、まずはそういうことをやってみたかったんですよ。
──当初のディスチャーミング・マンは、元セロニアスの小野寺恭志さんがラップトップで楽曲をマニュピレートしたり、蛯名さんがアコギで唄う時は現在もバンドのメンバーである野川さんがサポート・ドラムとして参加する程度でしたよね。そんな編成で制作されたファースト・アルバム『Discharming man』(2006年7月発表)は歌をしっかりと真ん中に置いたシンプルな音作りで、当時とても新鮮に響いたんですよ。喉を振り絞って絶叫するキウイロール時代の印象がどうしても強かったので。
蛯名:うん、ファーストは今聴いてもいいですよね。今度またアルバムを作る時には、バンド編成にこだわらずにそういう打ち込みの曲も入れたいと思ってるんですよ。自分が本当にやりたかったことのきっかけだったし、そういう要素がまたあってもいいかなと思って。
──ディスチャーミング・マンというネーミング自体、ディスチャージとスミスの初期の代表曲である『This Charming Man』を掛け合わせたものじゃないですか。そこからも自分本来の嗜好に重きを置いていこうという意志が窺えますよね。
蛯名:そうですね。まぁ、ユニット名は意外と軽く付けたんですけど。軽くっちゅうか、何か自分に合ってるなと思って。
──うん、凄く合ってると思うし、このネーミングは素晴らしい発明品ですよ。
蛯名:ああ、吉村さんもそんなことを言ってましたね。
──ディスチャージのハードコア感とスミスのアコースティックを基軸とした柔和な感じが融合した部分がディスチャーミング・マンにはあると思うし。あと、モリッシーの中性的な歌声と歌詞の世界観もニュアンスとして近いものがあるような気もします。
蛯名:俺、かわいくないんですよ、結局。いつも一言多いんですよね。周りの人に対してああだこうだ余計なことを言っちゃうし、自分で“何か違うな”と思ったら言わずにはいられないんです。これでも自制してるんですけど、ついそういうことを言っちゃってケンカになったりするんですよね。そういうかわいくないところも自分に合ってると思って。
自分はやっぱり歌を唄う人間なんだ
──最初のライヴは弾き語り単体でしたっけ?
蛯名:いや、小野寺君とふたりで、もうあの感じでやってましたよ。スパイラル・コードの『脳内フリクション』のレコ発(2005年6月2日、札幌クラブ・カウンター・アクション)で、ナートと一緒に参加させてもらったのが初ライヴでしたね。1曲目がいきなり『だいなしにしちゃった』だったんですよ。あれは小野寺君がギターを弾いて、俺が唄っただけの編成で、それから打ち込みの曲をやったりしたんですよね。
──同じ年の10月にはWateLの企画で我がネイキッド・ロフトにも初出演してもらったり、ファースト・アルバムを発表した後には『ノクターン・ツアー』の一環としてナートのセイキさんやサハリンTVと一緒に同じくネイキッドでライヴをやってもらいましたよね。初出演の時はネイキッドの狭い厨房の中で唄ってみたり、『ノクターン・ツアー』の時はドラムのフル・セットを持ち込んでみたり、当時は実験的な試みを繰り返していましたが。
蛯名:まぁ、良くも悪くもだったんですよね。ああいうことをやって判ったところもあったし。
──具体的に言うと?
蛯名:自分の曲のデカさに勝てないんですよ、あのやり方だと。演奏形態が自分の曲に負けちゃうんです。だから、人を介して演奏するのはやっぱり凄く大事なんだと思って。それは試行錯誤して気づけたことだし、無駄なことじゃなかったですね。作品として聴くぶんにはいいのかもしれないし、あのやり方を否定するわけじゃないんですよ。あの編成でもっとやり詰めれば違った景色も見えたんだろうけど、自分が辿ってきた道をふと振り返った時にいろんなことをやってきたのに気づいたんですよね。一時期、自分の中でキウイを封印してたところがあって、要するにバンドという形態を禁じ手にしてたんです。でも、その部分を使って自分のやりたいことをやればいいじゃないかと思った時に、凄くラクになれたんですよね。それがあって今に繋がる感じなんですよ。
──『キウイロール アンソロジーI』のブックレットの序文にもそんなことが書かれていましたね。
蛯名:うん。ただ、打ち込みを主体としてた頃はライヴにおけるECDと(イリシット・)ツボイさんの関係性みたいなものに憧れがあったし、サンプラーだけで戦車に挑むっていうECDの感覚がいいなと思ったんですよね。それで自分でも同じようなことをやってみたんだけど、やればやるほど、やれることとやれないことが出てきた。あと、自分に合ってることと合ってないことも理解できたし。聴いてて好きな音楽と自分のやるべき音楽の違いもありますからね。俺自身、グラインド・コアやファスト・コアは凄く好きでよく聴くけど、自分でやる音楽はそういうのとはまた違うと思うし。ヒップホップも凄く好きだけど、自分がやる意義があるかな? って考えると、もっと違う表現のほうがいいと思えるし。そういうことを考えるようになったんですよね。ただ自分の好きなものをやるんじゃなくて、自分のやるべきことは何なのかを考えるようになった。それを突き詰めると、自分はやっぱり歌を唄う人間なんだってことに改めて気づいたんですよ。いいメロディといい歌詞の歌を唄えれば、ただそれだけでいいんじゃないかと思って。だったら好きな人を集めて楽しく唄おうかなと思って、今に至るわけなんです。
──バンド編成を導入するまで、割と時間が掛かりましたよね。
蛯名:1年半弱は掛かったのかな。よく覚えてるんですけど、2006年の7月29日に161倉庫でウィー・アー・エクスクラメーションやドッポなんかを呼んだライヴがあって、その時に初めて5人のバンドで演奏したんです。キーボードを弾いてる玉木君を除いて、今とは違うメンバーだったんですけど。
──最初の『シェルター・ツアーズ』の時にカウンター・アクションでライヴをやった時も、すでにバンド編成でしたね。
蛯名:『シェルター・ツアーズ』は同じ面子でしたね。161倉庫の3ヶ月後だったから。当時はまだ、作品とライヴは別物でいいんじゃないかと思ってたんです。オーケストラを雇うお金もないし、ライヴで作品の再現は不可能だと思ってたから、ただワーッとやればいいかなっていう割と軽い気持ちだったんですよ。あと、エンヴィのノブさんと打ち上げで呑む機会があって、それもバンド編成でライヴをやろうと思ったきっかけのひとつでしたね。ノブさんもライヴの時にオーケストラを入れたくなるけど、そこを敢えて入れずに5人だけで考えてやるのがいいんじゃねぇの? みたいなことを言ってたんですよ。それを聞いて俺も納得したんですよね。誤解を恐れずに言うと、“ダメなんだな、俺”っていうヘンな諦めがあったんです。
──ん? それはどういうことですか。
蛯名:さっきも言ったように、自分は曲を作ってそれを唄う人なんだっていうところで、いろんなものを一度手放すって言うか。信頼できる人に演奏を任せたほうが、俺も気持ち良く唄えるようになったんですよ。どういう訳か、打ち込みだと唄うのが難しくて。かと言って打ち込みの形態をすっかり諦めたわけじゃなくて、要するにいろんなことを一遍にやることができないんですよね。最初の話に戻るんですけど、自分はひとつのものにしか打ち込めないので、今はこのバンド編成で進めて、次はまた見えるものがあるかなっていう感じなんです。
個人ではどうしても超えられない壁がある
──ディスチャーミング・マンとしてリハで初めてバンド・スタイルで演奏した時は、やはり大きな手応えがありましたか。
蛯名:ライヴをやった時に思いましたね。異なった感覚が合わさる感じが打ち込みにはないんですよ。キウイでやってきたバンドの感覚が蘇って、単純に気持ちいいところもあったんでしょうけど。あと、ドラムの金物が唄いやすいところもあるんですよね。ドラムのリズムが絶対的に違うから、それも唄いやすい理由のひとつなんだと思う。
──ライヴでバンド編成になってからも、全面的に打ち込みを採り入れた『いた』(2007年6月発表)のような作品もありましたね。
蛯名:そうなんですよ。その時はもうライヴはバンドでやってたんですけど…混迷期でしたね。
──『いた』に収録された3曲(『いた』、『身勝手なオレにはお似合いさ』、『だいなしにしちゃった』)は、歌詞が凄く内省的かつ辛辣じゃないですか。打ち込みの音像も厭世観を増幅させているような感じで。
蛯名:確かに凄く暗いですよね。でも、『いた』のサウンドはずっとやりたかった感じなんです。あの感じを10代の頃からずっとやりたくて、やっとできたんですよ。ただ、実際にやってみて判ったのは、ちょっと判りづらい曲だなと。聴く人にとって判りやすくて、尚かつ自分もいいなと思える曲は作るのが難しいけど、それが一番いいんだなと思って。『いた』を作ったことによって自分のやりたいことが一段落したから、今度はいい曲をみんなと共有する方向へ行ったんですよ。
──ああ、だから『THE END』(2007年10月発表)は作品もバンド編成になって、グッと親しみやすさが増したわけですね。
蛯名:うん。割り切るようになって、気持ち良く唄うほうへどんどん向かっていったんです。
──『いた』、『THE END』、『360°』(2008年6月発表)というシングル3部作においても、蛯名さん独自の実験精神は絶えず繰り返されていたと言えますね。
蛯名:そうですね。だから今後、吉村さんが愛想を尽かして俺のもとを離れたり、他のみんなも俺のことが嫌いになってひとりぼっちになったら、また『いた』みたいな感じになるかもしれない(笑)。その時々でどうなるかは自分でもよく判らないけど。
──このシングル3部作は、アルバムというフォーマットでまとめて発表するよりも、シングルとしてその都度発表することに意義があったんですか。まるで新聞を発行するように、素早く録ってすぐに発表するスピード感を大事にすると言うか。
蛯名:ぶっちゃけて言うと、ツアーの経費を捻出する予算的な問題もあったんですよね。アルバムだとお金が入ってくるのが遅いけど、シングルならライヴハウスで直に売るからお金が入るのも早いんです。在庫の減りも早いし、現時点で『360°』があと2枚残ってるくらいなんですよ。それでもう終わりなんです。まぁ、1アイテムにつき1000枚程度のプレスだから大したことじゃないんですけどね。当時はツテもなかったし、敢えてツテをなくしてたっちゅうか、全部を自分だけで回したかったんですよ。
──蛯名さんは、5Bレコーズの主宰者でもあるわけですからね。
蛯名:キウイの時はZKの井手(宣裕)さんやスティッフィンの角張(渉)君にお世話になりっぱなしで、流通の面を何もやってこなかったんです。5Bをキウイのメンバーで回してた時も、会計はオグに任せてたし。バンド貯金として毎月1万円ずつ納めてたのはあったけど、俺自身は何もしてなかったんですよ。自分でTシャツを作って売ったりすることもしなかったし。だから、ここで一度全部自分でレーベルを回してみようと思って。実際、凄く為になりましたよ。お店にCDを卸したり、フライヤーを作っていろんな所に送ってみたり。ただやっぱり、自分の音楽がどうしても広まらない壁があるんですよね。個人で回してもちゃんと実益はあるし、バンドの足代も出せるんだけど、超えられない壁がある。そういうこともあって、今度のアルバムはトラフィックのお世話になろうと思ったんです。実益も大事だけど、伝えたいことがあるのに歌を聴いてもらえないんじゃ問題だなと思って。ちょうどそんな頃ですよ。去年の6月くらいかな、羽田に着いたタイミングで今回PVを撮ってもらった川口(潤)さんから電話をもらって、「トラフィックっていうレーベルが話をしたいらしいから、一度会ってみれば?」って言われたんです。それで後日会うことにして。そういう運命的な出会いもあったんですよ。
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吉村秀樹のギターで歌を唄える喜び
──そうこうしているうちに、『360°』に収録されていた『スロゥ』で吉村さんがギターで参加して、去年の5月にオー・ウェストで行なわれたブッチャーズの『official bootleg vol.017』でも吉村さんが『スロゥ』で客演することになり。
蛯名:そう、あの時からなんですよ。その後、札幌に帰ってから吉村さんに電話して、「ここぞっていう節目の企画の時にまた弾いてもらえますか?」って言ったら、「そんなこと言うな、お前! 遠慮すんなよ!」って言われたんですよ(笑)。基本は今の5人でやりつつ、たまに吉村さんに入ってもらう感じが俺はいいと思ってたんですけど、吉村さんとしてはもっといろんな曲を弾いてみたい気持ちがあったんでしょうね、有り難いことに。
──それまでも吉村さんはソロのライヴでよく『消してみな』を唄ってましたからね。
蛯名:うん。それ以降、6月の吉祥寺ワープで4曲くらい参加してもらって。その時はまだゲストっぽい感じだったんだけど、7月のロフトでは遂に全曲弾いてもらうことになって。
──チョモランマ・トマトのレコ発でしたね。
蛯名:そう。しかも、吉村さんはギターじゃなくていきなりハーモニカを吹いてましたから(笑)。
──去年の正月に蛯名さんからもらったメールの中に、「吉村さんに1曲弾いてもらおうと思っているので期待していて下さい」っていう文面があったように記憶しているんですけど。
蛯名:そうでしたね。事のきっかけとしては、2007年の3月くらいにゴッツ・ガッツとデラシネが札幌に来たんですよ。そのライヴに小野寺君と一緒に出たんだけど、それをたまたま札幌にいた吉村さんが観て「面白いことやってんなぁ」って思ってくれたみたいで。あと、同じ年の9月に代官山ユニットでやった俺たちのライヴを吉村さんが大絶賛してくれたんです。
──ナートの『In The Beta City』のレコ発でしたね。
蛯名:そうです。そこで「凄くいいな、お前!」って何度も言われて。で、「交換日記しようか?」って言われたんですよ(笑)。「1行ずつ交換し合ってアルバムでも作ろう」って。まぁ、それは話半分みたいな感じだったけど、『スロゥ』なら吉村さんがいいギターを弾いてくれそうだったからお願いしてみたんですよ。そしたら「いいよ」って快く引き受けてくれて。その流れで今の巨大帝国に繋がるんです(笑)。
──端から見ていると、吉村さんが関わるようになって以降、ディスチャーミング・マンの活動が一気に加速したように思えるんですよね。
蛯名:そうなんですよ。吉村さんは超能力者みたいなところがあるから(笑)、理屈じゃない部分で事が運んでいった気はしますね。自分じゃよく判らないけど。ただ、俺は吉村さんのギターが凄く好きだし、それを聴いて育ったから、吉村さんのギターで歌を唄えることは凄く嬉しい。俺にはずっと、近くて遠い存在でしたから。
──でも、以前から交流はあったじゃないですか。キウイロールの『本当のこと』には、セイキさんと共に吉村さんのコメントも寄せられていたし。
蛯名:あの頃から気に掛けてはくれてたんですよね。キウイに関心を持ってるレコード会社のディレクターを紹介してくれたのも吉村さんだったし、井手さんに対してもいろいろと言ってくれてたみたいだし。『サンカクヤマ』でブッチャーズと初めて共演する前に、吉村さんと西荻で一緒に呑んだんですよ。ネモのナカノ君に紹介してもらったんだけど、凄く緊張しましたね。しかも、先に吉村さんが居酒屋で待ってたから余計に緊張して(笑)。まともに話をしたのはあの時が最初だったのかな。
もっとたくさんの人たちに歌を届けたい
──今回発表される『dis is the oar of me』なんですが、これはいわゆるメジャー・デビュー盤と捉えていいんでしょうか。
蛯名:まぁ、実質的にはそういうことになっちゃうんじゃないですかね。一応はインディペンデントなんだけど、全国に流通されるデビュー盤って言うか。
──これまでの代表曲を録り直したベスト盤的な作品ですけど、ブッチャーズに喩えるなら、これはディスチャーミング・マンにとっての『i'm standing nowhere』なのかなと思ったんですけど。
蛯名:ああ、なるほど。『karasu』とか『i'm on fire』とかね。そういう部分はあるのかもしれないですね。トラフィックからは「今のライヴが凄くいいので、あの感じをそのまま録ってすぐに出したい」って言われたんですよ。今は吉村さんもライヴでいっぱい弾いてくれてるし、既発曲とか関係なく、ディスチャーミング・マンを聴いたことのない人たちに届けるのもいいなと思ったんですよね。だから曲もバーッと録って、生モノを出すような感じでいいのかなと思って。新曲と既発のシングル曲が7対3の割合で入ってるアルバムを作る発想もあったんだけど、これまで発表してきた作品は極々少数の人たちにしか届けられていないと思ったし、もっとたくさんの人たちに向けたい気持ちが強かったんですよ。
──その選択は正解だったと思いますよ。ディスチャーミング・マンのお披露目盤として申し分のない内容だし、このアルバムさえあれば現時点でのディスチャーミング・マンの全体像も把握できますからね。
蛯名:そうなんですよね。次のアルバムはもっと新曲をたくさん聴かせたいと思ってますけど。すでに新しいのが1曲あるし、吉村さんに聴いてもらってるだけでまだ一緒にやってないのが2曲あるし、断片的な曲は他にもたくさんありますから。
──生モノを出すような感じで…と言う割には、かなり手間を掛けて作りましたよね。10月に河口湖で合宿レコーディングをして、11月には新大久保のフリーダム・スタジオでもレコーディングを敢行してみたり。
蛯名:そうですね。最初、トラフィックからは既発のシングルをそのまま入れてもいいんじゃないかと言われてたんだけど、俺は録り直したかったんです。今のバンドとしての音も残しておきたかったから。それでちょっと時間が掛かった部分はありますね。
──そこが今回訊きたかったことのひとつで、キウイロール時代の蛯名さんは録り直しを良しとしなかったじゃないですか。オリジナルこそがベストであるというのが持論で。ただ、今回のアルバムに関しては原曲と比肩している、もしくは凌駕している楽曲が多々あって、そこが面白いなと思ったんですよね。
蛯名:『因果結合666』や『逃飛行』、『消してみな』や『だいなしにしちゃった』みたいに、元が打ち込みだった曲は全然違いますよね。『だいなしにしちゃった』は一昨年の11月にネストでやった時に自分でも凄い曲だなと思ったんですよ。その感じをまず収めたかったんですよね。
──ファースト・アルバムに収められていた楽曲ならまだ判るんですけど、今のバンド編成で録った『スロゥ』や『360°』、『プラスティックマン』ですら格段に見違えた仕上がりだから、それが凄いなと思って。
蛯名:そうですね。そういった去年出したシングル曲はやっぱり、1000人しか聴いてないような気がしたんですよ。実際にはもっと聴いてるだろうけど、もっと聴かれるような媒体に載っけたいと思った。あと、『プラスティックマン』とかはライヴでもよくやってるから、その勢いが出てるのかもしれませんね。ある意味、勢い任せのアルバムだと思うし、ホントにライヴ盤みたいなところがあるんですよ。吉村さんも録ってる時に「ライヴっぽいな、これ」って何回も言ってたくらいで。
──実際、ライヴのようにピッチの上がってる曲もありますよね。
蛯名:『THE END』とかはそうですね。余り細かいことは考えずに、気持ち良く唄いたいと思ったんですよ。吉村さんのギターは言うまでもなく素晴らしいし、玉木君もいいピアノを弾くし、そこは任せようと。玉木君は特に凄くて、彼はギターもベースもピアノも何でもこなせるんですよ。ギタリストの視点から見たピアノの解釈ができる人だから、ギターと合わさっても大丈夫なピアノが弾けるんです。だからピアノのアレンジも一任するし、他のパートも結構一任してるんですよ。キウイの最後のほうみたいな感じにはなってないですね。
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このアルバムは俺の遺言みたいなもの
──その今の状況が、キウイロールで言えば『スクイズ』に近いわけですね。
蛯名:そうなんですよ。ただ、『スクイズ』の時と根本的な部分で違うのは、今のほうが自分の濃度が高いってことですね。そういう環境の中でやってるから、より気持ちがいいんです。不純なものがないって言うか、自分の道の上でやってる感覚がある。キウイロールっていう道じゃなくて、俺個人の道の上でやってるから、バンドのみんなには俺の曲を使って楽しくやって欲しいんですよ。
──植木清志さんと日下貴世志さんというエンジニア両氏による匠の技も、本作における要となっていますね。
蛯名:その辺は俺、何も関わってなくて、制作に関してはプロデューサーの吉村さんに全部任せたんですよ。そしたら清志君と日下さんに手掛けてもらうことになって。清志君がベーシックを録って、ある程度まで加工して、日下さんがトラック・ダウンをやってくれたんですけど、凄く良かったですね。日下さんも「清志がよく頑張ってくれた」って言ってましたから。
──日下さんと清志さんと言えば、ブッチャーズの諸作品でもお馴染みですよね。
蛯名:うん。吉村さんがやりやすい環境だったと思うんですよね。俺も凄く唄いやすかったし、とにかく音が素晴らしくいい。(本誌の先月号を見ながら)フラワーカンパニーズとかブランキー・ジェット・シティとかと並べても大丈夫な音になってますね。そこは結構、重要なことだと思うんで。
──選曲の基準は?
蛯名:ライヴでやってる曲ですね。ライヴ盤っぽい気持ちだったし、ライヴでやる曲は自分としてもいいと思えるものが残るから、必然的にベスト盤っぽくなりますよね。『不思議な船』は唯一の新曲だけど、ライヴでやろうとしてそのままレコーディングに滑り込んだ曲なんですよ。『white』も滑り込みなんですよね。ホントはギリギリまで入れる予定はなかったんだけど、去年の10月にやったシェルターでのライヴに向けて練習してた時にやってみたら、結構できるかもなと思えたんです。いつかは作品として残したいとずっと思ってたんだけど、明日死ぬかもしれないし、入れられる時に入れようと思ったんですよね。ライヴみたいな感じを残すっていう意識もあったし。
──『white』は、キウイロールの末期に音源として残そうとした挙げ句に成し遂げられなかった楽曲じゃないですか。それを4年掛けてやっと形にして、しかもその出来が余りに素晴らしいから、僕はその背景を含めてすこぶる感動したんですよね。
蛯名:ああ、なるほど。ここ最近、このアルバムをそんなに聴いてなかったんですよ。録りからずっと聴いてるし、ライヴでもやってるし、常に自分の中にあるものだから聴く必要もなくて。でも、ライヴの練習を含めて久し振りに聴いてみたら、やっぱり凄くいいんですよね。『white』は特に凄くて、自分でも思わず感動したんですよ(笑)。『white』に限らず、このアルバムに入ってる曲は全部、世の中に残せてホントに良かったと思ってますね。
──このアルバムが完成した直後に、ブログで「今事故って死んでも悔いはないです」と珍しく手放しで喜んでいましたよね。
蛯名:そうですね。そういうことは余り思わないんだけど、このアルバムは俺の遺言みたいなものなんですよね。
──そんな、縁起でもない(笑)。
蛯名:いや、ホントに。“もうこれでいいかな”っていうくらいの作品が出来たし、それは聴く人にも伝わると思うんですよ。特別な舞台に立てる場所で音楽をやっている以上、自分が死んでも残したいと思える音楽を作りたいし、それをやらなきゃまるで意味がない。自分の肉体が残らなくてもこの音楽さえ残ればそれでいいと思ったんですよ、このアルバムが完成した直後は。
──吉村さんが「30歳になるまでにロックの名盤と呼ばれるような作品を作りたかった」という思いで『kocorono』という屈指の名作を作り上げたじゃないですか。それに近い感覚が蛯名さんにもありましたか。
蛯名:ありましたね。自分もいつかは『kocorono』みたいな作品を作らないと、音楽をやってる意味がないと思ってましたから。まぁ、俺が心底感動した『kocorono』というアルバムでギターを弾いて唄ってた人が自分のアルバムでギターを弾いてるっていうのも、妙な因果を感じるんですけどね。
サウス・ジャパンに憧れるノース・ジャパン精神
──全11曲、トータル・タイムが1時間以上あって、長尺の曲もかなりあるのに淀みなく聴き通せるのは凄いですね。一周なんてあっという間ですから。
蛯名:1曲1曲を飽きさせないようにしてるし、大事に作ってますからね。演奏だけの部分も歌の余韻が残るように作ってるし。キウイの時もそうだったんだけど、歌が消えても演奏に乗ってるように感じる曲作りをしてるんですよ。そういう俺の気持ちが伝わる人には長く感じないのかもしれない。クリームのライヴ盤とか、やってる側が楽しいだけのジャムっぽい曲がそもそも俺は苦手なんですよ。まぁ、『white』は10分以上ありますけどね(笑)。簡潔にまとまった曲のほうがどっちかと言えば好きだし、7、8分の長尺の曲でも、体感としては4、5分に思えるような曲が昔から好きなんです。時間軸を巧みにずらしてあるって言うか。
──ブッチャーズの『7月』なんて、まさにそのタイプの楽曲ですよね。
蛯名:そうそう。そういう現実を忘れて歌の世界に入り込めるようなものが好きなんですよ。もちろん、『因果結合666』や『プラスティックマン』みたいに3、4分台でまとめた曲も作りますけど。
──アルバムの中盤に『スロゥ』、『360°』、『不思議な船』といったゆったりとした楽曲を3曲並べるのもかなり大胆な構成と言えますね。それでも中だるみを一切感じさせないのが見事だと思うんです。
蛯名:あそこに『スロゥ』が入るのは凄いですよね(笑)。そこで一度終わる感じはありますね。曲順は困るかなと思ったんだけど、意外とすんなり決まったんですよ。吉村さんに曲順を考えてもらって、俺はもう何でもいいなと思ったんです。どの曲も出来がいいから、どう置かれても良かったんですよね。自分としてはいいテイクが残せたらそれで良かったので。吉村さんのことは信頼してるし、考えてもらった曲順も俺が考えてたのと大差なかったんですよ。
──『white』でアルバムが終わる選択肢があったりとか?
蛯名:俺も吉村さんも、最初は『white』で終わることを考えてたんですよ。『だいなしにしちゃった』は当初、iTunesとか配信限定の曲にしようと考えてたんですけど、出来が凄く良かったので、思い切って入れてみようかなと思ったんです。ただ、11曲も入れたら67分くらいになっちゃうし、俺はロリンズ・バンドのアルバムが凄く長くて聴けなかった記憶があるから(笑)、どうしようかなと思って。でも、仮の曲順で11曲全部を落としたCD-Rを聴いてみたら、意外にサラッと聴けたんですよね。
──万事オーライでしょう。『だいなしにしちゃった』は映画で言うエンド・ロールの役割を果たしていると思うし、『white』の重さを洗い流してくれるじゃないですか。
蛯名:そうなんですよね。終わりの2曲はどちらも後奏の長い曲だけど、感触も空気も全然違うから繰り返し聴けるなと思って。だから、最後の最後で11曲にして良かったと思いますね。
──『逃飛行』、『スロゥ』、『360°』にはそれぞれ“夏”という季語が歌詞にありますけど、蛯名さんにとって思い入れのある季節なんですか。ファースト・アルバムには『秘密の夏』という楽曲もありましたし。
蛯名:それは自分でも考えてたんですよね。何だかやけに自分が夏づいてるなと思って(笑)。北海道は真冬になるとリアルに厳しくなるから、秋の終わりから冬の始まりくらいの時期…樹木の枯葉が音を立てながら水溜まりに落ちていく頃に曲が出来やすいんですよ。
──吉村さんが言うところの“ノース・ジャパン精神”に溢れた蛯名さんだからこそ(笑)、輝かしい夏を欲するのかなとも思ったんですが。
蛯名:そういうのもあるかもしれないですね。北海道の夏は1ヶ月もなくて、凄く短いんですよ。“今年、夏あったの!?”っていう年もたまにあるし、サウス・ジャパンに対する憧れもあるんでしょうね(笑)。“そう 夏は今から始まる”っていう『スロゥ』の歌詞の“夏”は、希望の象徴ですよね。俺の歌詞は自分自身に対して唄ってるところがあって、人間誰しもそうなんでしょうけど、特に俺は良くないふうに物事を考えてしまうフシがあるんです。そんな自分を励ましたいって言うか、オチてる時に曲を書くと夏を渇望するのかもしれない。
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バンドの演奏が俺の思いを増幅してくれた
──『スロゥ』から『360°』の流れは、真夏の蜃気楼を想起させる透明感や夏特有の倦怠感みたいなものがありますよね。
蛯名:うん、判ります。自分で作った曲なんだけど、曲の力に引っ張られてる感覚が俺は強いんですよ。それが結果的に自分の力では及ばない効果を出してることもあると思う。
──単純に夏は好きな季節ですか。
蛯名:いや、冬のほうが好きですね。冬が四季の中で一番好きなんですよ。いろんなことを考えさせられる気候なんですよね、北海道は特に。何て言うか、自分の肌に凄く合うんです。北海道の夏はカラッとしてるし、湿度の高い東京と違って爽快感があるんですよ。全然汗もかかないし。でも、すぐに終わっちゃうんですよね。一瞬にして冬がやって来る。そういう儚いものへの憧れもあるし、冬と違った情緒もあるから惹かれるのかな。あと、ブッチャーズの『プールサイド』の中の“乱反射 水の音”っていうフレーズが俺は凄く好きなんですよ。表向きはキラキラした感じだけど、その裏には重い感覚も同居してる感じがあって。そういう相反するものが共存する感じを自分でも書きたいんですよね。
──せっかくの機会なので、駆け足でざっと収録曲について伺います。まず、『因果結合666』と『逃飛行』のように古参の打ち込み曲は、肉体性を帯びた演奏によって一際良く生まれ変わるだろうという読みはありましたか。
蛯名:自分のイメージを超えた仕上がりになったと思いますね。ただ、オリジナルはストリングスが入ってるし、そういう広がりのあるイメージが根本にはあったから、最初はどうなるかなとは正直思ってたんですけど。信頼できる人たちに演奏と解釈を任せたことで、彼らの気持ちも曲に込められてるし、確実に良くなってると思う。その2曲に限らず全部の曲に言えるんだけど、やっぱり吉村さんは凄いなと思いましたよ。俺の思いを増幅してくれたし、ちゃんと曲に歩み寄って演奏してくれたし。それが凄く嬉しかった。
──個性の塊のようなギターの音色なんだけど、歌を際立たせるべく無駄なことは一切やってないんですよね。
蛯名:そうなんですよ。吉村さんがリズムに合わせて細かく弾くところもあって、日下さんがそれを聴いて「凄くちゃんと弾いてますね!」って驚いてましたからね(笑)。日下さんは、吉村さんが一筆書きみたいなギターを弾くところしか見たことがなかったらしくて(笑)。
──『怯えた剣』の歌詞は、絶望と希望がない交ぜになった混沌とした心情が描かれていて、これぞ蛯名さんの真骨頂と思いましたけど。
蛯名:ライヴのMCでもよく言ってるんですけど、“結局、何にもねぇな、俺”って思う時があるんですよ。何か特別なことができるわけじゃないし。歌を唄ってはいるけど、ロクなことは唄えないし、自信のなくなる時が凄くあるんです。俺はもうすぐ33になるんですけど、無駄に歳だけ喰っちゃって、こんな人生で大丈夫かな? って。ウチの親父は俺が生まれた時に36とかで、俺は4人兄弟の末っ子で上に姉ちゃんとかがいるから、親父は26とかで父親になってるわけですよ。それに比べて俺は、使えない知識ばかり養っちゃって何をやってるんだろうなぁってよく思うんです。
──でも、そんな自分には歌があるという歌でしょう?
蛯名:まぁ、最終的にはそこに行き着くんですけどね。曲を作って唄うことだけしかできないから。でも、その部分を誇示したくもないんですよ、全然。“自分には歌しかない”って言うのはどうかな? って思う部分もあるし、そういうことを言うヤツに限って大したことがなかったりするから(笑)。それを含めて、でもやっぱり唄うしかないんだよなっていう曲なんですよ、『怯えた剣』は。
──ポジティヴな意味ではなく、唄うことを奪われたらいよいよ困るんだよなっていうニュアンスですか。
蛯名:破れかぶれみたいなところですね。俺はホント、音楽にしか興味がないんですよ。そこから派生して映画やファッションに関心が湧くことも全然ないし、本屋に行っても音楽のコーナーしか見ないんです。ずっと飽きずに興味を保てるのは音楽ってものしかないんですよ、情けないことに。
だから今日もひたすら唄う
──『THE END』は、先ほど蛯名さんが言っていた玉木さんの腕がとりわけ冴えた楽曲ですね。性急でけたたましいビートの中でも凛とした旋律をピアノが奏でていると言うか。
蛯名:この曲は異常な早さですね(笑)。『プラスティックマン』もそうだけど、オリジナルよりも早いんですよ。ノッチ(野川)は気分屋だから、その時々で早さが変わるんです。それにみんなが合わせる感じなんですよね。
──まぁ、そうした部分を含めてのライヴ感なんでしょうけど。
蛯名:そうですよね。ただ、『THE END』は早いけど遅いっていうのを意識してるんですよ。車や電車に乗ってて、走ってる車両同士が止まって見えることがあるじゃないですか? あの感じがいいんだよねってU・Gマンの河南(有治)さんが言ってたことがあったんです。『THE END』はそういう感じの曲なんですよ。凄く勢いはあるんだけど、どこかふわふわした感じもあるって言うか。そういうのがいいなと思って。
──吉村さんのギターの凄さが余すところなく出ているのは、やはり『スロゥ』なのかなと思ったんです。筆の先に付いた絵の具がパレットにしたたり落ちるような音色で、得も言われぬ瑞々しさもあって。
蛯名:そうですね。録ってる時に俺も思わず「凄いっすね」って言ってしまいましたから。この曲は、1曲の中で主人公が旅をしているイメージなんですよ。主人公が歩いていて、周りの景色だけが過ぎていく感じ。そんなイメージを吉村さんのギターが増幅してくれてますね。
──ブッチャーズの『僕』みたいに気宇壮大な感触もありますね。
蛯名:この間、ツアー中に車の中で吉村さんとふたりで『僕』を聴いてたことがあったんですよ。その時に、きっと吉村さんは『スロゥ』みたいな曲をブッチャーズでもやりたかったんだろうなと思う部分もあって。『僕』は俺も好きだし、凄くいい曲ですよね。
──そんな吉村さんですが、『360°』ではギターから一転、歌に寄り添うようなハーモニカを吹いていますけど。
蛯名:あのハーモニカがまた凄くいいんですよね。吉村さんが名越(由貴夫)さんと共作したCHARAさんの『タイムマシーン』の雰囲気も若干あると思うんです。あの曲にもハーモニカが入ってたし。
──『不思議な船』の“いつでも息を 潜めては消して その時を待っていたんだ”という歌詞は、まさに今のディスチャーミング・マンを象徴しているようなフレーズですよね。自分の船をおぼつかない手漕ぎのまま出航させて4年近く、考え得る最強のバンド編成というオール(櫂)を手にして今回の至高の作品を完成させて、ようやく帆を揚げる時が来たという。
蛯名:うん、その通りかもしれない。そういうことを意識して書いたわけじゃないですけど。
──他にも新曲を入れようとは思いませんでしたか。
蛯名:曲数は揃ってたし、それを早く録る気持ちのほうが強かったですね。新曲に関しては、その時点で残ってるものを入れようって感じだったので、次のアルバムで頑張ります(笑)。
──『消してみな』を入れたのは、ソロ・ライヴでこの曲をレパートリーにしている吉村さんの意向もあったんですか。
蛯名:いや、単純にいい曲だし、ちゃんと録ったものを聴きたいと自分でも思ってましたから。オリジナルが収録されている『Nocturne Tour Sound Tracks』は好きな人も多いんだけど、さっきの話の通り、もっとたくさんの人たちに聴いてもらいたいってことで再録したんですよ。
──『プラスティックマン』は、キウイロール以来久々の疾走感に溢れたナンバーですね。
蛯名:そうなんです。『怯えた剣』と『プラスティックマン』は自分の中でデカい曲なんですよ。どちらもキウイの匂いがするじゃないですか? それも含めてやるよ、っていう意識が今はあるんですよね。『THE END』もそうなんだけど。キウイ的な部分も間違いなく俺の一部だし、もうそこはやらないとかじゃなくて、冷静に受け止めようと思って。さっきの話に戻るんだけど、ディスチャーミング・マンとして始めてからが自分自身なんだって意固地になってた時期もあったんですよ。キウイをやってた13年間には目をつぶっていたけど、それを含めての自分なんだなと思えるようになったんですよね。『プラスティックマン』はそういう曲なんですよ。自分でも凄くいい曲だと思います。
──この曲にも“だから今日もひたすら唄う”という『怯えた剣』と似た決意みたいなものが唄われていますけど。
蛯名:それも破れかぶれですよ。唄うしかない。それしかないんです。
違った価値観がぶつかり合うことの素晴らしさ
──『white』は蛯名さんの歌ももちろん素晴らしいんだけれど、徐々に盛り上がっていく後奏のアンサンブルには何度聴いても身震いするし、涙腺を刺激されるんですよね。荘厳と激情が大きなうねりとなって天を衝くような、掛け値なしに素晴らしい演奏だと思うんですよ。
蛯名:『white』はどうやって出来たのか、自分でも余り覚えてないんですよね。
──これは、キウイロールの解散を決めてから作った曲なんですか。
蛯名:いや、違います。全く対照的な『yes means no』という曲と同時期にやってた曲なんですよ。『yes means no』はみんなで作ってすぐにライヴでもできるようになったんだけど、『white』はずっとグダグダになってて。解散間際のライヴで何とか披露はできたんですけどね。俺はずっと唄い続けていこうと思って作った曲なんだけど、何でこんな雰囲気の曲になったのかは自分でもよく判らない。さっきも言いましたけど、その頃の自分は凄くキツイ人間になってたんですよ。だから、今の自分とは違う別人格の人が書いてるような感覚もあるんです。今の自分ならこういう曲が書けるかどうか判りませんね。
──『white』というのは、無垢の象徴なんでしょうか。
蛯名:まぁ、そういうことですね。当時の自分はバンドをやめる前だったけど、すべてを一度まっさらにしたかったんですよ。でもできなくて混沌としていたっていう。そんな感じかな。
──『だいなしにしちゃった』は、打ち上げ花火が連射されるような締めのギターの音色がとてもユニークですね。
蛯名:あれはセイキさんと吉村さんのコラボで、ふたりが凄く入れ込んでたんですよ。巨匠のふたりがキャッキャキャッキャ言いながら録ってましたから(笑)。セイキさんがちょっと変わった音を入れたいってことでいろんなエフェクターを持ってきて、そこに吉村さんのエフェクターまで繋ぎ出したんです。吉村さんがエフェクターをいじって、セイキさんがガンガン弾いてたんだけど、ワン・テイクで「よし、これでいい」ってことになって。ふたりの感









